DEATH NOTE -デスノート- (出演 藤原竜也、松山ケンイチ)
2006年7月1日 映画
映画デスノートを観てきました。
「1日」はファンサービスデーで千円で観れるそうで、狙い済ました客が多かったです。
で、感想。ネタバレを含みます。
……これドラマでやったほうが良かったんじゃね?
妹子はよくまとめていたと感心して好評価だったんですが、私はそこまで支持できず、うーんと考え込んでしまいました。
ドラマで〜と言ってみたら、「無理。CGのリュークを毎週作れっての?w」とその業界に生息している妹子に一蹴され、そっかあと肩を落とした私です。
たしかによくまとめられていましたけど、映画の初め、導入部分がどうにも気恥ずかしくて、見てられない気持ちになったことがちょこちょことありまして、
漫画ではそんなことなかったのになあ、と考え、映画と漫画の違いについてふと思いを馳せることにもなったのであります。
例えば、個人的な感想ですが、
漫画は、導入が荒唐無稽なほど興味をそそるが、
映画は冷める。
これは、デスノートを映画化するにおいては、けっこう難しいポイントだったんじゃないでしょうか。
デスノは導入部分がどうしても漫画的(というかファンタジー)だし、なによりも説明的です。
漫画のようにモノローグで解決するってわけにもいかない。
この初めの部分に時間をかけすぎたナルニアはめちゃ不評だったわけですが(いくらなんでも長すぎる)、
デスノは、ぽんぽんとリズム感をもってうまくまとめられていました。
けどやっぱり物語っぽいなーと思って、私はちょっと冷めてしまいました。
たぶん、外国人が演技していたらまた違ったんでしょう。なんか同じ日本人がまじめにファンタジーなこと喋ってると体が痒くなってくる私であります。
似あわねえっつーかなんつうか(酷い言い草でゴメンと誰かに謝る)。
外国人の俳優だと「非現実性」を強く後押しされるので、荒唐無稽な設定も進んで受け入れられる模様です。
我ながら、わかりやすい傾向…。
ただこの映画、だんだん面白くなってくるので、観ているのが辛くなったりはしませんでした。
最初をクリアすれば後はオッケーみたいな。
藤原氏の演技は、けっこう良かったと思います。どことなく舞台調な言い回しも、ライトの性格には合っていた感じ。いわばライトは、他人の前ではずっと演技し続けていることになりますから。
ただ、漫画との人物像はだいぶ違っているように思いました。同じ「幼稚なライト」でも、漫画のそれと俳優が見せたそれでは、見せ方に違いがある感じ。
漫画ライトは、常に「Lを殺すこと」を目標において、外堀をじょじょに埋め計画を進めていく、ものすごく計算高い人物のように描かれていた気がします。
いっぽう映画版では、「邪魔するものは殺す」といったような、進む道に飛び込んできた障害物を壊していくという、少し受動態な性格にも受け取れるように描かれていました。
そのせいか、ライトが常に危うい位置にいる感じで、いつバレるかとハラハラさせてくれます。これは実写ならではの緊迫感かもしれません。
ネタバレになりますが、南空ナオミにかなり翻弄されて、殺すまでにだいぶ手間をかけさせられていたこととか。心ならずも恋人を殺さなければならなくなったりとか。
というか、ライトが目をつけられる速さと頻度を考えると、「コイツよくキラだってバレなかったな」と苦笑してもいいぐらいです。映画観てて気づいて、なんで漫画じゃ気づかなかったんだろーと自問するハメに。
――つまり映画と違い、漫画はどんなアクロバティックな展開でも概ね、受け流せるんですな。私はそのようです。
そーだ恋人。このオリキャラ、使い方が非常に秀逸。効果的でした。
原作ではモノローグで補っていた、ライトの内面、キラ・犯罪者に対する考え方をわかりやすく示せたと同時に、ふつうの生活の裏で暗躍するキラという図柄を際立たせることができたと思います。
やっぱりリュークとの会話だけじゃ物足りないもんね。
リュークの声優をしていた中村獅童、うまかったです。このひとの声は好きだなー。
私の中じゃリュークはもっと舌足らずというか、ちょっと鈍い間抜けな面も持っている印象があったんですが、ずいぶんコミカルに変えられていました。
でも雰囲気的には合っていました。
映画の結論をどうするかはわかりませんが、原作と同じように幕引きするとしても、このリュークだったら印象深いシーンになることでしょう(むしろ観てみたい)。
CG…その業界の方からは、すごくツッコミどころがあったみたいですよ。私にはわかりませんけど(苦笑)。
さて、L。
これもちょっとコミカルな感じでした。バーベキュー串にドーナツやらエクレアやらバームクーヘン刺してたとこなんか特に。
まあ人間だったら表情の変化がぜったいあるわけだし、漫画のよーに無表情(つか「単一表情」?)で通すわけにもいかないので、チョコ等、甘味で人物像に肉付けしたってところでしょうか。これはけっこう好印象。楽しかった。
矢神父との組み合わせがけっこう合ってたかもしれない。凹に凸って感じで。
誰かが映画館を出たあとに「1800円出してまで観ようとは思わないなー」と言ってまして、同感ですが、1200円なら観てもいい。1000円で観れたのでよかったです。
ただ、一番どきどきしてオモシロそうだなーと思ったのはぶっちゃけ予告編だったと、高らかに歌い上げたいです。ナルニアほどじゃーないけど。
msnの映画レビューなどではけっこういい印象を抱いているひとが多いですね。
たぶん演出がどうのこうのというより(まあもちろんそれもあるんですけど)、
正義を主張する人間がしだいに悪に染まっていくという、作品のテーマを興味深く評価しているからじゃないかな。
ライトの目的と行動の二律背反のおもしろさは、漫画の大きな魅力のひとつでしたが、映画でもそう。
Lとライトのふたりに「正義は自分だ」と発言させることによって、よりフォーカスしている気も見られます。
さて後編はどうなるんでしょうか。
さすがに映画じゃーライトの「いきなり大ゴマで凶悪ヅラ」技を披露するわけにはいきませんので、藤原氏の演技が見所ですね!
それはすごく楽しみ。
デスノートを持った者の苦悩を、とことん見せてもらいたい。
そしてリュークはそれを楽しむ姿を。
Lは後半でさらにキャラ付けされるのか?
矢神父が演出するであろう、親子の愛情も見もの。それが破綻に繋がっていくのか過程がな(ニマリ)。
そして彼の白髪は果たして増えるのか!?(そんなどーでもいい…)。死ぬのかどうかは白髪の次に気になります。
漫画では後半から次第に動いてくる松田、楽しみです。あと捜査班の中に女性がひとりいるんですが、あのひとも何か絡むのかな。
1200円なら観てもいいと書きましたが、
デスノートは原作に漫画を持つ映画では、かなり成功するだろうと予測します。
なぜなら今、わたしは11月の後編が見たいので。
漫画とはまた別物のデスノートとして、なかなかの出来でした。
話は最初に戻ってしまいますが、なぜドラマでやったほうがいいなーと考えたかというと、
一話ごとに、ライトVS●●というわかりやすい形で話が進められただろうと思うからです。
リズム感のいいミステリー小説のように、ハラハラさせながら観客をうまく引っ張りこめたんじゃないかなと。
でもまードラマは映画のクオリティでは作られませんから、たぶん無理だろうなー。
出来上がっても映画よりおもしろくなることはまずないだろう。ちょと残念。
あと、ひとつ叫びたいことが。
ミサ役の戸田ちゃんオーバーニー可愛い!!!!
足細い!!!!!
CGで出てくるだろうレム、めっさ楽しみ。声誰だろう??v
「1日」はファンサービスデーで千円で観れるそうで、狙い済ました客が多かったです。
で、感想。ネタバレを含みます。
……これドラマでやったほうが良かったんじゃね?
妹子はよくまとめていたと感心して好評価だったんですが、私はそこまで支持できず、うーんと考え込んでしまいました。
ドラマで〜と言ってみたら、「無理。CGのリュークを毎週作れっての?w」とその業界に生息している妹子に一蹴され、そっかあと肩を落とした私です。
たしかによくまとめられていましたけど、映画の初め、導入部分がどうにも気恥ずかしくて、見てられない気持ちになったことがちょこちょことありまして、
漫画ではそんなことなかったのになあ、と考え、映画と漫画の違いについてふと思いを馳せることにもなったのであります。
例えば、個人的な感想ですが、
漫画は、導入が荒唐無稽なほど興味をそそるが、
映画は冷める。
これは、デスノートを映画化するにおいては、けっこう難しいポイントだったんじゃないでしょうか。
デスノは導入部分がどうしても漫画的(というかファンタジー)だし、なによりも説明的です。
漫画のようにモノローグで解決するってわけにもいかない。
この初めの部分に時間をかけすぎたナルニアはめちゃ不評だったわけですが(いくらなんでも長すぎる)、
デスノは、ぽんぽんとリズム感をもってうまくまとめられていました。
けどやっぱり物語っぽいなーと思って、私はちょっと冷めてしまいました。
たぶん、外国人が演技していたらまた違ったんでしょう。なんか同じ日本人がまじめにファンタジーなこと喋ってると体が痒くなってくる私であります。
似あわねえっつーかなんつうか(酷い言い草でゴメンと誰かに謝る)。
外国人の俳優だと「非現実性」を強く後押しされるので、荒唐無稽な設定も進んで受け入れられる模様です。
我ながら、わかりやすい傾向…。
ただこの映画、だんだん面白くなってくるので、観ているのが辛くなったりはしませんでした。
最初をクリアすれば後はオッケーみたいな。
藤原氏の演技は、けっこう良かったと思います。どことなく舞台調な言い回しも、ライトの性格には合っていた感じ。いわばライトは、他人の前ではずっと演技し続けていることになりますから。
ただ、漫画との人物像はだいぶ違っているように思いました。同じ「幼稚なライト」でも、漫画のそれと俳優が見せたそれでは、見せ方に違いがある感じ。
漫画ライトは、常に「Lを殺すこと」を目標において、外堀をじょじょに埋め計画を進めていく、ものすごく計算高い人物のように描かれていた気がします。
いっぽう映画版では、「邪魔するものは殺す」といったような、進む道に飛び込んできた障害物を壊していくという、少し受動態な性格にも受け取れるように描かれていました。
そのせいか、ライトが常に危うい位置にいる感じで、いつバレるかとハラハラさせてくれます。これは実写ならではの緊迫感かもしれません。
ネタバレになりますが、南空ナオミにかなり翻弄されて、殺すまでにだいぶ手間をかけさせられていたこととか。心ならずも恋人を殺さなければならなくなったりとか。
というか、ライトが目をつけられる速さと頻度を考えると、「コイツよくキラだってバレなかったな」と苦笑してもいいぐらいです。映画観てて気づいて、なんで漫画じゃ気づかなかったんだろーと自問するハメに。
――つまり映画と違い、漫画はどんなアクロバティックな展開でも概ね、受け流せるんですな。私はそのようです。
そーだ恋人。このオリキャラ、使い方が非常に秀逸。効果的でした。
原作ではモノローグで補っていた、ライトの内面、キラ・犯罪者に対する考え方をわかりやすく示せたと同時に、ふつうの生活の裏で暗躍するキラという図柄を際立たせることができたと思います。
やっぱりリュークとの会話だけじゃ物足りないもんね。
リュークの声優をしていた中村獅童、うまかったです。このひとの声は好きだなー。
私の中じゃリュークはもっと舌足らずというか、ちょっと鈍い間抜けな面も持っている印象があったんですが、ずいぶんコミカルに変えられていました。
でも雰囲気的には合っていました。
映画の結論をどうするかはわかりませんが、原作と同じように幕引きするとしても、このリュークだったら印象深いシーンになることでしょう(むしろ観てみたい)。
CG…その業界の方からは、すごくツッコミどころがあったみたいですよ。私にはわかりませんけど(苦笑)。
さて、L。
これもちょっとコミカルな感じでした。バーベキュー串にドーナツやらエクレアやらバームクーヘン刺してたとこなんか特に。
まあ人間だったら表情の変化がぜったいあるわけだし、漫画のよーに無表情(つか「単一表情」?)で通すわけにもいかないので、チョコ等、甘味で人物像に肉付けしたってところでしょうか。これはけっこう好印象。楽しかった。
矢神父との組み合わせがけっこう合ってたかもしれない。凹に凸って感じで。
誰かが映画館を出たあとに「1800円出してまで観ようとは思わないなー」と言ってまして、同感ですが、1200円なら観てもいい。1000円で観れたのでよかったです。
ただ、一番どきどきしてオモシロそうだなーと思ったのはぶっちゃけ予告編だったと、高らかに歌い上げたいです。ナルニアほどじゃーないけど。
msnの映画レビューなどではけっこういい印象を抱いているひとが多いですね。
たぶん演出がどうのこうのというより(まあもちろんそれもあるんですけど)、
正義を主張する人間がしだいに悪に染まっていくという、作品のテーマを興味深く評価しているからじゃないかな。
ライトの目的と行動の二律背反のおもしろさは、漫画の大きな魅力のひとつでしたが、映画でもそう。
Lとライトのふたりに「正義は自分だ」と発言させることによって、よりフォーカスしている気も見られます。
さて後編はどうなるんでしょうか。
さすがに映画じゃーライトの「いきなり大ゴマで凶悪ヅラ」技を披露するわけにはいきませんので、藤原氏の演技が見所ですね!
それはすごく楽しみ。
デスノートを持った者の苦悩を、とことん見せてもらいたい。
そしてリュークはそれを楽しむ姿を。
Lは後半でさらにキャラ付けされるのか?
矢神父が演出するであろう、親子の愛情も見もの。それが破綻に繋がっていくのか過程がな(ニマリ)。
そして彼の白髪は果たして増えるのか!?(そんなどーでもいい…)。死ぬのかどうかは白髪の次に気になります。
漫画では後半から次第に動いてくる松田、楽しみです。あと捜査班の中に女性がひとりいるんですが、あのひとも何か絡むのかな。
1200円なら観てもいいと書きましたが、
デスノートは原作に漫画を持つ映画では、かなり成功するだろうと予測します。
なぜなら今、わたしは11月の後編が見たいので。
漫画とはまた別物のデスノートとして、なかなかの出来でした。
話は最初に戻ってしまいますが、なぜドラマでやったほうがいいなーと考えたかというと、
一話ごとに、ライトVS●●というわかりやすい形で話が進められただろうと思うからです。
リズム感のいいミステリー小説のように、ハラハラさせながら観客をうまく引っ張りこめたんじゃないかなと。
でもまードラマは映画のクオリティでは作られませんから、たぶん無理だろうなー。
出来上がっても映画よりおもしろくなることはまずないだろう。ちょと残念。
あと、ひとつ叫びたいことが。
ミサ役の戸田ちゃんオーバーニー可愛い!!!!
足細い!!!!!
CGで出てくるだろうレム、めっさ楽しみ。声誰だろう??v
フィンランドのヘルシンキで日本食堂を経営しているサチエは、図書館で知り合ったミドリを食堂のスタッフに迎える。
お客は、日本アニメおたくの青年しかいない店にボチボチ人が集まるように。
悩みをかかえたフィンランド人、荷物が出てこなくなって困っている日本人など、個性的なお客さんたちが、かもめ食堂に集まり、サチエたちの温かな心がこもった料理でなごやかな気持ちになっていく。
れっきとした日本映画だが、オールフィンランドロケで、現地スタッフや役者も参加して作り上げた日本とフィンランドのコラボ映画。あせらずマイペースなサチエに小林聡美がピッタリ。
また「かもめ食堂」の北欧風のインテリア、シナモンロールやおにぎりなどのお料理もおいしそうで、ビジュアルも十分に楽しめる。
国境を超えた人間関係をオシャレで心温まるヒューマンドラマに仕上げたのは『恋は五七五』でおなじみの荻上直子監督。(斎藤香)
--------------------------------------------------
というわけで、見て参りました『かもめ食堂』。
北欧って、なんであんなに空が青くて高いんでしょうかね。空気が澄み切っているのがわかる。映像でさえそうなんですから、あの下に立ったときの恍惚感を想像すると、それだけで胸がすくような気がしてきます。
思ったよりも流れがゆっくりで、正直少し飽きたり退屈になったり疲れたりもしてしまったのですが、
そういう「だらだら」感が、少し映画の登場人物たちとリンクしているような、不思議な連帯感がありました。
退屈だなーとは思うけど、画面から目を離したいとは思わない、みたいな。
瞬間瞬間の、三人の「おばさん」(って印象があったんですよ。いい意味で)たちの表情を追うのが楽しくて仕方ありませんでした。
異郷に暮らすって、けっこう勇気のいることです。
ふと思いたって海外に行って見ようとするのって、あんまり考えられないんじゃないかな。
日本は、数字の上で言えば海外旅行に行く人はとても多く見えるけど、実情は「行く人はたびたび行くけど、行かないひとは全く行かない」という二極化だと思います。
国際空港がそうあちこちにあるわけでもないし、田舎のひとは自分の住んでる町を出るだけでも「キレイにしてかなくっちゃ!」とおめかしする。
空港まで二時間以上もかかるような地域に住んでいれば、そうそう海外旅行になど行く気が起きません。行って国内、移動に時間とられるくらいなら、まったり温泉を満喫してるほうがいいわって思うのも無理はありません。
というかそれが普通だと思う。
そんな、誰しもの心の中にある当然の前提をひょいと飛び越えて、フィンランドという異郷に三人の日本人の女性がいるのです。
窓の外は石畳。
抜ける青空、時代を感じる石造りの町並み。
白夜で夜中まで明るく、ひとびとは語らったり、散歩したりしながら、のんびりと暮らしている。
日本とは時間の流れる速さが違うのだろうかと疑うくらい。
はじめは旅行客としてやってきたミドリは、フィンランドと日本との差異を非常に強く感じます。
これも自然なことで、見るもの触るもの全てに新鮮な驚きと、日本と比べての便不便と、物珍しさを感じてしまうのです。
フィンランドでも日本と同じように――といったら違うかもしれませんが、「自分」というスタンス、テンションを崩さない自然体のサチエは、そんなミドリにちょっと退いて、言い諭すのではなく、自分の生活を見せることで伝えていくのです――なにかを。
例えば食べること。
笑うこと。働くこと。
くよくよせず、焦らず、あるがままに、かもめ食堂の時間はゆったり流れる。
異郷の驚きもしだいに慣れに変わり、サチエと同じようにのんびりと、でもしっかりと異郷での生活が根付いてくるミドリを見ていると笑みがこぼれます。女のひとって、逞くてしたたかだなあ!
ひとはいろんな経験をして、それぞれに傷ついた出来事や、恥ずかしくて思い出したくもないことや、苦しかった記憶を持っています。そうでない優しい過去とも一緒に。
悩んでじーっと落ち込み考え込むのもアリだけど、当たり前に暮らしていく日々の中で癒されたり、自分で自分を治していくひとのほうがずっと多い。
特別な場所じゃなく、日常の中にこそ、救いがある。
自分で自分を助ける鍵は、ほんとうはフィンランドなどにはないのです。
でもそれも、なかなか一人では気づけなくて、例えばひょんと遠い異国に落っこちてみてはじめて、振り返れることもある。
人間って因果なものですね。
笑わなくても生きていけるし、悩まなくても生きていける。
でも、人間は、食べないと生きていけないんです!
きっとそれだけ受け取ればいい、そんな映画なんだと笑いながら思いました。
お客は、日本アニメおたくの青年しかいない店にボチボチ人が集まるように。
悩みをかかえたフィンランド人、荷物が出てこなくなって困っている日本人など、個性的なお客さんたちが、かもめ食堂に集まり、サチエたちの温かな心がこもった料理でなごやかな気持ちになっていく。
れっきとした日本映画だが、オールフィンランドロケで、現地スタッフや役者も参加して作り上げた日本とフィンランドのコラボ映画。あせらずマイペースなサチエに小林聡美がピッタリ。
また「かもめ食堂」の北欧風のインテリア、シナモンロールやおにぎりなどのお料理もおいしそうで、ビジュアルも十分に楽しめる。
国境を超えた人間関係をオシャレで心温まるヒューマンドラマに仕上げたのは『恋は五七五』でおなじみの荻上直子監督。(斎藤香)
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というわけで、見て参りました『かもめ食堂』。
北欧って、なんであんなに空が青くて高いんでしょうかね。空気が澄み切っているのがわかる。映像でさえそうなんですから、あの下に立ったときの恍惚感を想像すると、それだけで胸がすくような気がしてきます。
思ったよりも流れがゆっくりで、正直少し飽きたり退屈になったり疲れたりもしてしまったのですが、
そういう「だらだら」感が、少し映画の登場人物たちとリンクしているような、不思議な連帯感がありました。
退屈だなーとは思うけど、画面から目を離したいとは思わない、みたいな。
瞬間瞬間の、三人の「おばさん」(って印象があったんですよ。いい意味で)たちの表情を追うのが楽しくて仕方ありませんでした。
異郷に暮らすって、けっこう勇気のいることです。
ふと思いたって海外に行って見ようとするのって、あんまり考えられないんじゃないかな。
日本は、数字の上で言えば海外旅行に行く人はとても多く見えるけど、実情は「行く人はたびたび行くけど、行かないひとは全く行かない」という二極化だと思います。
国際空港がそうあちこちにあるわけでもないし、田舎のひとは自分の住んでる町を出るだけでも「キレイにしてかなくっちゃ!」とおめかしする。
空港まで二時間以上もかかるような地域に住んでいれば、そうそう海外旅行になど行く気が起きません。行って国内、移動に時間とられるくらいなら、まったり温泉を満喫してるほうがいいわって思うのも無理はありません。
というかそれが普通だと思う。
そんな、誰しもの心の中にある当然の前提をひょいと飛び越えて、フィンランドという異郷に三人の日本人の女性がいるのです。
窓の外は石畳。
抜ける青空、時代を感じる石造りの町並み。
白夜で夜中まで明るく、ひとびとは語らったり、散歩したりしながら、のんびりと暮らしている。
日本とは時間の流れる速さが違うのだろうかと疑うくらい。
はじめは旅行客としてやってきたミドリは、フィンランドと日本との差異を非常に強く感じます。
これも自然なことで、見るもの触るもの全てに新鮮な驚きと、日本と比べての便不便と、物珍しさを感じてしまうのです。
フィンランドでも日本と同じように――といったら違うかもしれませんが、「自分」というスタンス、テンションを崩さない自然体のサチエは、そんなミドリにちょっと退いて、言い諭すのではなく、自分の生活を見せることで伝えていくのです――なにかを。
例えば食べること。
笑うこと。働くこと。
くよくよせず、焦らず、あるがままに、かもめ食堂の時間はゆったり流れる。
異郷の驚きもしだいに慣れに変わり、サチエと同じようにのんびりと、でもしっかりと異郷での生活が根付いてくるミドリを見ていると笑みがこぼれます。女のひとって、逞くてしたたかだなあ!
ひとはいろんな経験をして、それぞれに傷ついた出来事や、恥ずかしくて思い出したくもないことや、苦しかった記憶を持っています。そうでない優しい過去とも一緒に。
悩んでじーっと落ち込み考え込むのもアリだけど、当たり前に暮らしていく日々の中で癒されたり、自分で自分を治していくひとのほうがずっと多い。
特別な場所じゃなく、日常の中にこそ、救いがある。
自分で自分を助ける鍵は、ほんとうはフィンランドなどにはないのです。
でもそれも、なかなか一人では気づけなくて、例えばひょんと遠い異国に落っこちてみてはじめて、振り返れることもある。
人間って因果なものですね。
笑わなくても生きていけるし、悩まなくても生きていける。
でも、人間は、食べないと生きていけないんです!
きっとそれだけ受け取ればいい、そんな映画なんだと笑いながら思いました。
先行上映でナルニアに旅してきた。
2006年2月27日 映画おもろかったです。というか印象よし。
これぞファンタジー!!というファンタジーでした。ハリポタよりロードオブザリングに近く、とってもとっても子供向け。なんかあの、「子供のため」な感じがいいです。
子供がなぜいきなりこんな、剣が扱えるようになるのだ…ってもう馬乗りこなしてるし!!などとツッコミどころは強烈にありましたが、そういうとこも「子供のためv」って感じでいい。
夢がありますね。空想の幅がひろがりますねーって意味じゃなくて、ドリームがあるよあの感じには。
どっちかっつーとオンライン小説の異世界召喚モノ(いきなり女子高生とかが異世界いっちゃって勇者とか巫女とかになって王子様とくっついたりする、懐かしのレイアースみたいな展開をみせる話)のノリでした。
ご都合主義といったらオワリでしたが、夢あるエンタテインメント推奨派なわたくしには好評。
いいよ、素敵だよ。
空想力は想像力につながるから大事だと思います。子供には希望や願望をたっぷり与えるべき。子供に夢を大人に愛を、世界に平和を。オレには札束を。
ごはんには味噌汁で(よくわからない)。
観賞後、ナルニアはそういえば読まなかったなあと思って、続編を手にしてみようと本屋に行きましたが、ふっつーに、あまりにも「児童文学」な感じだったので購入をためらってしまいました。
文章量に対する金額が大きすぎだよイワナミさん。イワナミ少年文庫だったんですがね。
これはさすがに図書館で済ませたい。でなければ立ち読みで済む。全七巻みたいですが、このくらいなら二時間程度で読めるとみた。
そんなわけで明日、何年ぶりかで地元の図書館に行ってみようと思います。…借りられてたりしてなー。そしたらショック。
これぞファンタジー!!というファンタジーでした。ハリポタよりロードオブザリングに近く、とってもとっても子供向け。なんかあの、「子供のため」な感じがいいです。
子供がなぜいきなりこんな、剣が扱えるようになるのだ…ってもう馬乗りこなしてるし!!などとツッコミどころは強烈にありましたが、そういうとこも「子供のためv」って感じでいい。
夢がありますね。空想の幅がひろがりますねーって意味じゃなくて、ドリームがあるよあの感じには。
どっちかっつーとオンライン小説の異世界召喚モノ(いきなり女子高生とかが異世界いっちゃって勇者とか巫女とかになって王子様とくっついたりする、懐かしのレイアースみたいな展開をみせる話)のノリでした。
ご都合主義といったらオワリでしたが、夢あるエンタテインメント推奨派なわたくしには好評。
いいよ、素敵だよ。
空想力は想像力につながるから大事だと思います。子供には希望や願望をたっぷり与えるべき。子供に夢を大人に愛を、世界に平和を。オレには札束を。
ごはんには味噌汁で(よくわからない)。
観賞後、ナルニアはそういえば読まなかったなあと思って、続編を手にしてみようと本屋に行きましたが、ふっつーに、あまりにも「児童文学」な感じだったので購入をためらってしまいました。
文章量に対する金額が大きすぎだよイワナミさん。イワナミ少年文庫だったんですがね。
これはさすがに図書館で済ませたい。でなければ立ち読みで済む。全七巻みたいですが、このくらいなら二時間程度で読めるとみた。
そんなわけで明日、何年ぶりかで地元の図書館に行ってみようと思います。…借りられてたりしてなー。そしたらショック。
皇帝ペンギン〜涼しさ満点だってばよ!!〜
2005年8月22日 映画
南極で皇帝ペンギンの生態を追ったフランスのドキュメンタリー。
南極に冬の気配が訪れる頃、皇帝ペンギンたちは、自由と安息を約束する海を離れ、営巣地へ向けて100キロ近い行進を始める。 生まれてくる我が子を外敵から守る最良の地。
しかしそこでは、マイナス40度、時速250kmのブリザードの中、120日間の絶食という過酷な試練が待ち受けていた。
-----------------------------------------------------------
とりあえず題はナルト調でいってみました。
字幕版か吹き替え版か悩んだのですが(実は事前にレビューを見たひとは字幕版の方をオススメしていた)、映像に集中できるだろうということで吹替を選択してみました。
午前中の放映だったのですが、なんの、お年寄りから若い衆まで揃っていました。さすが文部省推薦作品は客層も違うとたい(何人だ)!
さて映画の内容ですが。
元々日本人は動物モノに弱い。
しかもこういうドキュメンタリー形式の番組に慣れている。
ドウブツ奇想天外とか私は好きでよく見てますし。
そんなわけで特にものすごく目新しい感覚は受けなかったのですが、サムイ気分ではなくとても心地よい涼しい気分になれたのは確かです。
映像を堪能したくて吹替えを選びましたが、これは画面自体もペンギンの歩く速度に合わせるようにゆるやかに流れていくので、字幕でも充分だいじょうぶだったでしょう。
むしろフランス語のふしぎな響きを楽しめますから、これから見る方には字幕をオススメしたいです。
このドキュメンタリー映画のすてきなところは、ペンギンのちいさな家族を演出しているところですね。
首を垂らして子供の声に耳を澄ます父親、いとしそうに顔を寄せ合(って見える)う恋人たち。
バックを氷に溶けそうな音楽が流れれば、小さな黒い目に愛情があふれて見えます。
そう感じさせるのは自分の想像力なのだとわかりつつも、雪の下から小さな春の気配を見つけたように微笑んでしまいます。
確かに小学生くらいの時に見てみたかったなあと思う映画です。その時だったらどう感じただろう?
きっといま胸に生まれる感情の何倍も何十倍も、いろんなことを考えて不思議に思い、どきどきしたんじゃないかな。
ちょっとノスタルジーにも駆られつつ、映画は進んでいきます。
皇帝ペンギンは、ぶっちゃけ自分の股ぐらに卵をのっけてあっためるのですが(すんませんこのこと、どーしても頭から離れないのよいつだったかテレビで見てから)、極度の飢餓状態にある母親は、卵を産んですぐに海へ食料を求めにいかねばなりません。
ゆえに卵を産むと、それを父親の股ぐらに移してあげるのです。
映画のように「足の間」と言え、自分。
このねー卵を渡すということが、それ自体でもう大作業なんですね。
無防備な卵である子供が、極限ともいえる南極の寒さに耐えられるのは、わずか数秒。
ぜったいに間違いは許されないのです。
若い夫婦の卵が、ころころとふたりの間、十センチほど転がり――、
一呼吸もたたぬうちにぺきぺきと亀裂が走り裂け目ができ、その裂け目さえもが凍りつき縮んで、死んでいきました。
劇場中にひびいた、ピシピシという乾いたあの音。
生命が凍る音。
なまじの怪談よりも身がすくみました。
演出によく長けた映画だったと思います。
生命を育むあたたかさを演出しながら、同時に生のうつくしさ、ひたむきさ、残酷さを突きつける。
だからこそいとおしいんだと、家族を求める子供の声、父親母親の声がどんどん澄んでいくようでした。
皇帝ペンギンは、とても綺麗な生き物でした。
一緒に見に行った友人は映画とかが苦手なのですが、無類のペンギン好き。
見終わった後に「うおお今劇場の出口で子ペンギンのぬいぐるみが売っていたら買うかもしれん…!!」と唸ったわたくしに「もう持ってる」とニマリと笑いました。
というか劇場の出口でぬいぐるみでもキーホルダーでも売ってたら、あれを見てた人たちはかなり高い確率で買いそうになると思うのですよ。
去年、ナルト映画を見に行ったとき、みんながグッズに殺到してたことを考えても。なかなか割のいい商売にはならないか?
俺がマネージメントしてたら是が非でも売るのになー。おもしろそうなのに、惜しいことです。
どっかの水族館のおみやげ物からペンギンをピックアップしてくるだけでもよ…とか頭の中で取らぬ狸の皮算用もしたわたくしでした。
――あと、
ペンギンが滑って転ぶのには笑いました。
しかもその転び方が人間そっくり!!(笑)
「あわたッ!」って感じにぶへっと顔面を打つ皇帝ペンギンを見ていますと、いやー生き物が慌ててバランスを取ろうとする仕草とかは種に関係なくよく似てるなあと感心したもんです。
見終わった後は、「可愛かったシーン」で話が盛り上がりましたが、地下の劇場から上がったとたんに熱波につつまれ口数が減りました。
まだまだ残暑がキビシイーっ!
どうせ涼むなら、この夏は映画館へ。
思わぬちいさな感動が待っているかもしれません。
南極に冬の気配が訪れる頃、皇帝ペンギンたちは、自由と安息を約束する海を離れ、営巣地へ向けて100キロ近い行進を始める。 生まれてくる我が子を外敵から守る最良の地。
しかしそこでは、マイナス40度、時速250kmのブリザードの中、120日間の絶食という過酷な試練が待ち受けていた。
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とりあえず題はナルト調でいってみました。
字幕版か吹き替え版か悩んだのですが(実は事前にレビューを見たひとは字幕版の方をオススメしていた)、映像に集中できるだろうということで吹替を選択してみました。
午前中の放映だったのですが、なんの、お年寄りから若い衆まで揃っていました。さすが文部省推薦作品は客層も違うとたい(何人だ)!
さて映画の内容ですが。
元々日本人は動物モノに弱い。
しかもこういうドキュメンタリー形式の番組に慣れている。
ドウブツ奇想天外とか私は好きでよく見てますし。
そんなわけで特にものすごく目新しい感覚は受けなかったのですが、サムイ気分ではなくとても心地よい涼しい気分になれたのは確かです。
映像を堪能したくて吹替えを選びましたが、これは画面自体もペンギンの歩く速度に合わせるようにゆるやかに流れていくので、字幕でも充分だいじょうぶだったでしょう。
むしろフランス語のふしぎな響きを楽しめますから、これから見る方には字幕をオススメしたいです。
このドキュメンタリー映画のすてきなところは、ペンギンのちいさな家族を演出しているところですね。
首を垂らして子供の声に耳を澄ます父親、いとしそうに顔を寄せ合(って見える)う恋人たち。
バックを氷に溶けそうな音楽が流れれば、小さな黒い目に愛情があふれて見えます。
そう感じさせるのは自分の想像力なのだとわかりつつも、雪の下から小さな春の気配を見つけたように微笑んでしまいます。
確かに小学生くらいの時に見てみたかったなあと思う映画です。その時だったらどう感じただろう?
きっといま胸に生まれる感情の何倍も何十倍も、いろんなことを考えて不思議に思い、どきどきしたんじゃないかな。
ちょっとノスタルジーにも駆られつつ、映画は進んでいきます。
皇帝ペンギンは、ぶっちゃけ自分の股ぐらに卵をのっけてあっためるのですが(すんませんこのこと、どーしても頭から離れないのよいつだったかテレビで見てから)、極度の飢餓状態にある母親は、卵を産んですぐに海へ食料を求めにいかねばなりません。
ゆえに卵を産むと、それを父親の股ぐらに移してあげるのです。
映画のように「足の間」と言え、自分。
このねー卵を渡すということが、それ自体でもう大作業なんですね。
無防備な卵である子供が、極限ともいえる南極の寒さに耐えられるのは、わずか数秒。
ぜったいに間違いは許されないのです。
若い夫婦の卵が、ころころとふたりの間、十センチほど転がり――、
一呼吸もたたぬうちにぺきぺきと亀裂が走り裂け目ができ、その裂け目さえもが凍りつき縮んで、死んでいきました。
劇場中にひびいた、ピシピシという乾いたあの音。
生命が凍る音。
なまじの怪談よりも身がすくみました。
演出によく長けた映画だったと思います。
生命を育むあたたかさを演出しながら、同時に生のうつくしさ、ひたむきさ、残酷さを突きつける。
だからこそいとおしいんだと、家族を求める子供の声、父親母親の声がどんどん澄んでいくようでした。
皇帝ペンギンは、とても綺麗な生き物でした。
一緒に見に行った友人は映画とかが苦手なのですが、無類のペンギン好き。
見終わった後に「うおお今劇場の出口で子ペンギンのぬいぐるみが売っていたら買うかもしれん…!!」と唸ったわたくしに「もう持ってる」とニマリと笑いました。
というか劇場の出口でぬいぐるみでもキーホルダーでも売ってたら、あれを見てた人たちはかなり高い確率で買いそうになると思うのですよ。
去年、ナルト映画を見に行ったとき、みんながグッズに殺到してたことを考えても。なかなか割のいい商売にはならないか?
俺がマネージメントしてたら是が非でも売るのになー。おもしろそうなのに、惜しいことです。
どっかの水族館のおみやげ物からペンギンをピックアップしてくるだけでもよ…とか頭の中で取らぬ狸の皮算用もしたわたくしでした。
――あと、
ペンギンが滑って転ぶのには笑いました。
しかもその転び方が人間そっくり!!(笑)
「あわたッ!」って感じにぶへっと顔面を打つ皇帝ペンギンを見ていますと、いやー生き物が慌ててバランスを取ろうとする仕草とかは種に関係なくよく似てるなあと感心したもんです。
見終わった後は、「可愛かったシーン」で話が盛り上がりましたが、地下の劇場から上がったとたんに熱波につつまれ口数が減りました。
まだまだ残暑がキビシイーっ!
どうせ涼むなら、この夏は映画館へ。
思わぬちいさな感動が待っているかもしれません。