アスマの死がカカイル界にもたらす影響について。

落ち着くといろいろ考えだしてしまうなー。

ぶっちゃけ、私でさえもアスマが出てくる話のシーンは今書きにくい気持ちです。他の書き手さんがたも、少なからず胸に詰まったものを抱えていらっしゃるんじゃないでしょうか。

こないだ従姉妹のRちんとメールしてて、アスマのこととかちょっと語ったりしてたんですが、

カカイルサイトさまとか、めっちゃテンション低いのよーと私がボヤくと、

『あ〜。必須キャラだもんね〜アスマ。彼ほど万能型はいないもんね〜、間男しかり相談役しかり』

――という文面が送られてきて、思わず深ぁく頷いてしまいました。

そのときは、単純にその内容だけに頷いていたのですが、後々まで後を引く読後感の悪さを思い知って、

これは、もう少し突っ込んで考えると、カカイル界の将来性にも関連する事件だったのかもしれないと思うようになりました。

死の直後の抵抗感は仕方ないですが、これが長く続けばどうなるか? 或いは「原作で死んだ人間はもう書かない」というスタンスの方だとすると――――それは、著しくお話の幅を削ぐことになるんじゃないでしょうか。
けっこう恐いですよこれは。

アスマひとりがいないだけで、視点を変える脇役を、わざわざ作り出さなければならないかもしれない。
或いは、ふたりの恋模様(自分で言っててサムイ)を観察する立場の人間。

これらがあるだけで、話に驚くほど深みとおもしろさが出るものです。一方的にその自由を奪われたカカイル作家の衝撃といったら、並々ではありません。

オリキャラ作るのって、けっこう大変です。違和感なくパロに同化させなきゃならないですし(それでも原作にないキャラだと、どうしても変な感じがしたりする)。
なにより、書き手は原作を好きな故にパロってるわけですから、オリキャラを登場させることに抵抗感を持ったりします。

二重三重の意味で、猿飛アスマは重要な役どころにいたわけです。

カカシとイルカが付き合って、おいおいマジかよと驚くのはアスマ。笑い飛ばして信じないのもアスマ。友人として助言するのもアスマ。野次馬になって面白がるのもアスマ。
思わぬイルカ先生のシーンに器用にときめいちゃったりするのもアスマですよ?

カカイル本はアスマアスマだらけですよ考えてみりゃ。

彼を登場させたくないというだけで、話を進めるのが一気に困難になる、この無情さよ。

また、カカシとは性格も外見も全くタイプが違うという材料も良かった。
世話好きな熊男、でも口癖は「めんどくさい」。アスマ観の構築も、カカイル界の成長と共に育ってきたものでした。

……あかん、いつのまにか書いてることが追悼文になっとる。 orz

魅力的な脇役は、時として主人公より人気が高いという図は、同人パロにもあるんだなあ…。
彼はまさに身をもって教えてくれたわけですな(うぁぁああ)。

こんなことマジメに考えてるオノレをアホだなーと蔑みつつ、良い書き手さんを惹き付け、育て、量産してきたカカイルというジャンルへの愛着に、心痛む39でありました。

ほんとバカだな朝からなに書いてんだ……。
先日、従姉妹(Mちんの妹御)が遊びに来て、カカイルをやまほど読んでいきました。

私以外で、あれほど読むのが早い人間を久しぶりに見ました。丸一日以上滞在したのですが、その時間、メシとトイレ以外はずっとカカイル。ワタクシが厳選したカカイルをひたすら読む。読読読。

再録本もあったので、50冊は読んだと思います。小説のブ厚いやつもあったから、相当の量です。

したらば彼女が、本の山を消費しつつこう言ったのです。

折りしも深夜二時すぎ、「お泊り」すると、とりとめもない喋りが始まりがちな時間でした。

「私の中じゃ、カカシ先生は『最高の忍』だと思うのね。六歳から働いてたエリートの忍で。そういうひとは、もう一般人と感覚が違っていると思う。そのカカシ先生が、イルカ先生みたいなふつーのひとに心動かされるかな」

その疑問がひっかかって、「カカシがイルカを好きになる瞬間」が、どーしても腑に落ちないというのです。
話はおもしろいけど、どうも納得できない。と。

困りました。「萌え」をはずして、「カカシ先生がイルカ先生を好きになりそうな理由」を説明しなきゃならないんですから。

ていうか同人パロなんだから、ぶっちゃけそこは「こうなってほしい!つかこーなったらオイシイvv」っていう願望でしかないわけですよ。

ゆえに例えば「一目ぼれ」とか、もう無理やり好きにさせちゃったりとかするカカイルのほうが多いわけです。最初から好きだったり。

「カカシ→イルカ」なカカシ萌え或いはイルカ萌えだからこそ、好きの「きっかけ」はすっとばして、「カカシ→イルカ」そのものから書き始めることが多い気がします。

同人パロだから許せる荒業で、それこそ持ち味でもありますが。

でも彼女は、原作で書かれた設定のカカシ先生からすると、

「感情のコントロールに長けた『完璧な』忍であるカカシが、ちょっと笑顔がイイからって、イルカに惚れるか?(イルカスキーであれば『それだけイルカ先生の笑顔の威力がスゴイんだよ…!』といえるけど、萌えフィルターはずせば確かに…)」

みたいな…感じかな。なんというか。イルカ先生をけなすわけではなく、「あくまでフツーのひと」って感じだから、強固な『忍』然としたカカシを揺り動かすまでもないだろうと。

それにカカシの周囲は、言っちゃなんですが「スゴイ忍」ばかり。忍のレベルとしてはごくごくフツーのイルカが、目にとまるだろうかと。


――なんか色々刺激されました。

逆をいえば、そういう「普通」なイルカが、カカシみたいなすごいひとに好かれちゃうのが萌えであるわけですが、そういうふうにもってっちゃうのがカカイルなわけですが、

カカイル萌えしてなければ、抱いて当然の疑問なのでしょう。

「カカイルになりそうか、そうでないか」を、原作の設定から検証してみるという作業そのものが間違っているのですが、本気で悩みました。どう言っても「こじつけ」にしかすぎない。だってパロだし(爆)!

しかし状況証拠(苦笑)からみると、このふたりの間になんかあった…?と思わせる要素はいろいろある。


・「尊敬するあなたに追いつくくらい〜」のシーンで、イルカ先生の前で顔を赤らめるカカシ。なぜ?

・いつのまにかイルカ先生の、カカシ先生の呼称が「先生→さん」付けになっている。なぜ?

・かつ、三代目の前で口論したあとに「カカシ先生」が「カカシさん」と変化しているということは、この間に何らかの接触と和解がなければ違和感がある(イルカ先生の真面目な性格からして、親しくもないひとを「カカシさん」呼ばわりするとは考えにくい)。


あーでもこれだけのことで「なんかあった…?」とか邪推する時点でイタイ同人女だっつんだよ俺!!

うう。私の羞恥はおいといて、まあとにかく以上のような原作における「設定」はあるわけです。

しかし、いちばん大事な「ふたりの出会い」は宙に浮いている状態。もはやそこは空想に寄るしかない。

空想で作り出すしかない部分を「ありえなそう」と追及されると……もう想像でしかないんだから「いやぶっちゃけありえないし」と思うんだが、

せっかく大量のカカイルを読んでくれたRちんに報いるためにも、どうにか彼女を納得させたい…。

まあ最終的には「状況証拠」を並べて、「カカシがイルカを好きになってそうな可能性」についてあげるに留まったわけですが。

――でも実際、カカシ先生は確かに、もう簡単には誰かを好きになりそうもないキャラです。

私が思う彼は、おそらく忍と忍でないプライベートな自分の切り替えがものすごくできてるひと。

だってずーっと気を張ったままで生きることなんて不可能だと思うのです。自分の最適なテンションを保持し続けることは「人間ゆえに」不可能。

ただし彼は一種の「天才」なので、そうやって凡人のわたしが想像できる範囲外の特殊性を持っているということは、容易くありえるわけです。
つまり自然に、根っからの「忍」としてふるまえるということ。生きることに隠密が根付いているということ。

でも本当に心底「忍」だとしたら、毎朝慰霊碑に赴いて故人に話しかけるだなんてことをするだろうかと思うのです。

自分への戒め、後悔、そういったすごく「人間的」な部分を兼ね備えているわけですから、冷徹で冷酷な忍者ってだけの人間ではない。少なくとも違う部分を持っている。

そんなことから考えると、私が思うカカシ像というのは、「忍」の部分と「素」の部分が混在している人間。

原作においてもその時々によって「忍」である部分のカカシの意見が強くでたり、「素」で話したりするから、喋り方や喋る内容に場によってちょっとした違和感が伴う。
飄々としたキャラクター。

私とRちんはえらい長いこと話していたのですが、

「カカシ先生」の捉え方に齟齬がある以上、意見の一致というより平行線の距離感をはかるために論議していたようなものです。

カカイルに萌えない人間がみたカカイル、というのがよくわかりました。なんか創作意欲が刺激された。

ハーレクイン・ロマンスとかもそうなのですが、あれはもう最初っから「できあがる二人」が決まっていて、ハッピーエンドまでを楽しむ話です。
「この二人はくっつく」という大前提が読み手の頭の中にあるから、その時点である程度の「話の補完」がされてしまっているわけです。

私は、わりあいきちんとカカシイルカが描かれていて、初めて読むひとでも面白いと思えるカカイルばかりをRちんに薦めたつもりだったのですが、

いやーやっぱり「カカイル」ってだけでもう、勝手に頭で補完しちゃってたんだなあと。

「なぜこのカカシが、イルカを好きになるかわからない」なんて、新人文学賞の解説のよーな突っ込みをもらうとは思いませんでした。

そういう疑問を、自分はずーっと抱いてなかった、ということに、はじめて気がつきました。

カカイルにハマって四年。自分でも忘れかけていた原点を想起してもらった気分です。

同人パロのずるさも思い知らされた気分。ある程度の性格形成を原作に頼っちゃってるからなあ…。純粋な書き手の筆力だけで、読み手を納得させ、かつ面白いと思わせる話を書くのは、相当難しい。

Rちんはすっごく忙しいひとなので、あんなにだらだらまったり一緒にいて喋ったのは、実際小学生以来だったのですが、すごく楽しかったです。

あんだけカカイルについて話してもらったんだから、お返しに彼女がハマっているブリーチの感想も送らねばなるまい…。
漫画喫茶にいかなきゃだわー。
カラスの声が聞こえ始める時間です。アホー。そうさ私はアホーさ。でも10時までには出社する予定なのにさっきまで起きてた妹子も(以下略)。

友達にきゃわゆいクリスマスカードを送るため、眠気と生来のヘタクソな字のせいでどうにもこうにも適当に書きなぐったような印象のぬぐえない宛名を書いておりました。
ごめんクソミソに言って。

でも不思議なんだ。……なぜ同じ筆を持って、絵を書けばあれほど理想の曲線を描くのに、文字では不可能なのかと。

そういうわたくしも、決して美しい文字を書くわけではございません。あくまでフツーか、それ以下あたり。

きれいな文字を書けるひとって尊敬します。

さて、カカイルな話題です。しかも今回はちょっとアブノーマル。いやアブノーマルでない腐女子な話題などあるのかというツッコミはどうか置いといて。

フツーじゃねえよな、と思うヤオイジャンルにおいても、なかなかこれは、好き嫌いがあると思います。

―――カカイル・子供つき。について。

なんでもアリの忍世界、性転換だってやっちゃうぜ!と子供を産んじゃうイルカ先生は珍しくありません。

サイト掲載のパターンだと、カカシが無理やりイルカを襲って性転換させちゃって子供孕ませたりとか(きっぱり犯罪っすね)、あとはフツーに出会って、実はイルカ先生が先天的体質もしくは後天的な術等の事故により、女の性をも持っていたりして子供ができたりします。

でも実は、けっこう好き嫌いあるんじゃないかなと思うのですよ。拒絶というまで極端ではなくとも、好きではないし読まない、というひとが割合いるんじゃないかな。

純粋に(純粋に?)男×男の読み物としての危うさ、そこはかとない、禁断の関係というアンバランスさを第一の魅力として読んでいる人にとっては、イルカ先生が勝手に性転換されちゃったりしてる展開は、むしろおもしろさを削ぎ落とす行為に他ならないわけです。

例えばイルカ先生が実はめちゃくちゃ強い、という裏設定をつける話もありますが、これも、あまり好きではないなあというひとがいます。
そういう方は、『中忍』のイルカ先生に対してすごく魅力を感じているわけで、上記の付け加えられた設定は、萌えを半減する要素でしかないわけです。

私はといえば、抵抗なく受け入れ読むことができますが。

けっこうこの、子供を産む話っていうのは、いくつかの展開分けすることができると思います。

・女性化、妊娠、出産までの話が中心に進み、かわいい子供が生まれましたとさ〜という感じで、残り1話ぐらいで子供誕生で終わるパターン。

・子供を産んでから始まる話で、カカシ先生鬼畜率高し。七転八倒の末、やっぱり一緒にいよう〜になるパターン

この手の話で鬼畜カカシ出現率が高いのは、「襲われて無理やりでもなければ、男らしいイルカ先生が女性化・出産なんてことに付き合うわけない気がする」との認識からくるものかもしれませんね。

蒐集庵さまの『狂宴』やGod Bless Youさまの『そして、それが風だと知った。』は、すごーくそのパターンとして、書き手さまの思考が反映されてると思います。
妊娠したーワーイ☆ってなるわけないよな…というイルカ先生の性格への。

まあさらに、カカシがいわばだまし討ちのようにイルカ先生を女性化させちゃうので、そういう展開を好む嗜好もあると思われます(苦笑)。

一方、もう少しイルカ先生が柔軟で、出産までのプロセスをひたすら取り上げたと思うのは、insideさまの『破禁』全三巻でしょうか。オフラインで刊行なされました。

これは半陰陽といいますか、術の暴走で中性体になってしまったイルカ先生を、カカシ先生が好きになって愛しちゃって守りに守って守り抜き――の過程がじわじわと進んでゆきました。

女性化とか、特殊設定をばんばん駆使なさった割りには、思いのほか純愛な話で驚きました。
設定がほとんど恋愛成就の「障害」となっていた気がするのですが、カカシがまたえらい紳士カカシで(笑)、カカシが悶々とする度にこっちも悶々とさせられました。

たぶんあのカカシに少しでも鬼畜要素が備わっていたら、あの話は二巻ぐらいで終わっていたでしょう(でもってイルカ先生には嫌われたに違いない)。

カカシ先生とイルカ先生が、家族を持っちゃう展開もけっこう好きです。楽しんで読めます。

シリーズ化すると、その子供たちの話とかがずらっと続いたりして、もはやこれはカカイルではないような…と自分でも悩んだりするんですが、いやしかし、やはりカカイルだから読んでいるんだよなと思い直します。

ところで子供が生まれる場合、なんで「長男」の確率が高いんでしょう?

そんでイルカ先生を、カカシ先生と取り合うような感じになることが多い。
いちばん想像しやすい展開なのかなー。

子供話はけっこう読んできたなと思っていたのですが、つい先日、また違う子供話を見つけました。

このお話は、なんだかすごくツボにハマりました。

なにがイイって――ネタバレになるので申し訳ないのですが――カカシが自分の子と知らずに触れ合い、次第に子供をいとしく思っていくのがすごく自然に書かれている。

イルカに魅かれるのと同時に、イルカと子供がつくりだす空間に浸ってしまって、ひとりの寂しさに居たたまれなくなるカカシ。
それも、なんだか優しく描かれているのです。

子供がすごく可愛らしいコなんですが、とても無口。でもイルカ先生の体にぴたっと張り付くのが癖なんですね。

もともと悪い印象は抱いていなかったとはいえ、カカシがその子と打ち解けて、家族のように抱き上げて買い物に行ったりする感じがすごくあったかくて素敵です。

そして一番ポイント高かったのは、「子供」という存在が、ふたりの関係を結び付けているということ。

子供の名前にちゃんと意味をもたせて、話の中にきちんと生かして、最後に読み手の心に残るのが「カカシとイルカの関係→子供」という図ではなく、「カカシ―子供―イルカ」となっていました。少なくとも私にはそう受け取れました。

すごく良かったです。
まだ完結してはいないので、次の話の更新がとても楽しみです。
ひとーもぉなーがれーてどこどこーゆくぅの〜

……そんな感じで黄昏れたい39でございます。

ああ。きゅうひゃくよんじゅうごヘクトパスカルもあった台風がニクイ。突風でアパートを揺るがすこの風がニクイ。

出かける気を失くさせて私を飢えさせるこの風がニクイ…。

ところでヘクトパスカルって数字が小さい方が強い台風だって知ってましたか常識ですか。
オイラにとっては軽くトリビアでした。
もうヤダこの気圧。雨が横から降ってる(泣)。



う。


うえ。



―――――――飢え。



ああああ腹へったよぉおおおおおお!!!!!!!



はああ。気を紛らわすためにオンライン小説なぞを検索して読んでました。楽園という小説サーチに行って、そのランキングで投票上位のお話でファンタジーをいくつか拝見しとりました。

いいね…!!!!!☆☆☆☆

この、素人による小説というのに新たな煩悩の可能性といいますか、読み手としての新境地を発見する気分になってしまいます。なんでだろう。

同人とかオンライン小説とか嗜んでから、商業誌を買うと、全然萌えなくなっている自分に気が付いて茫然としました。

何でなんだろうなあ…。面白いんだよなあ。

山田ユギ女史の「最後のドアを閉めろ!」二巻を購入しましてね。
面白い、面白いんだけどなんかこう…半萌え―――といいますかなんといいますかなんなんだホントにこれは。

いやあでも本田三兄弟マジ好き。

誰が一番好きだろと考えて、雰囲気でなら次男、性格でなら三男、でも現実に知り合うんなら長男かしらと意味のないことに三十分もかけて悩む私です。

でも実はキャラで一番すきってなら永井なのよ。わはは。

攻めっぽい受けって好きだなあ!!!!

カカイルの何が私をこんなに飽きさせず、情熱を持続させているのかと考えてみたんですがね。

やっぱり、カップリングや設定的に、オイラの現在の好みが、ほぼ網羅されているといえるほどに揃っているからだと思います。

攻めっぽい受け。
ガタイのいい受け。
ミステリアスな雰囲気の攻め。
ややもすると軟弱にも見える攻め。

顔立ちで言うなら受けの方が荒削りってのもツボ。

カップリング、という範囲だけでもこれほどのグッ★があるのに、設定ではさらにその果実を甘くするかのよーな美味しさがプラスされています。

とりあえず「忍」っていうのがもーほんとたまらんくらい弄りがいテンコ盛り★

日々、危険と隣り合わせであること。
アヤしい薬話から女体化話まで、ほぼ無理なく楽しめるバリエーションの豊富さ。

数え上げたらまだまだ出てくることでしょう。


まあ一番は、勝手な思い込みかもしれんのですが、原作において、カカシ先生もイルカ先生も、明確に性格設定がされてない点だと思います。個人的な印象なのですけれど。

でも未だに―――例えばカカシ先生は「優しいけど厳しいところもある」性格なのか、「厳しいけれど優しいところもある」性格なのか、イマイチはっきりしとらんと感じるのですよ。

細かいとこ突っ込むなーとお思いになるかもしれませんが、これって、ひいては「こういう場面に、彼だったらどういうセリフを吐くか」が定まっていないことになるんじゃないでしょうか。

つまり、さっきの例えを使うなら、書き手さまそれぞれの好みで「厳しいけど優しい」人にも、「優しいけど厳しい」人にもできると思うのです。

実際、けっこう皆さんそうして、色々な性格のカカイルを書いてらっしゃいます。それをさほどの違和感なく受け入れられるのは、原作に描かれた二人のキャパが大きいからではないでしょうか。

つまりカカイルって、色んな設定で色んな性格のお話が楽しめる、懐の広いカップリングなんじゃないでしょうか!!!!(鼻息が荒い)

飢えに左右されて思考がフラフラと、今日はなんてまとまってない日記なんだ。

まとまらぬついでに言いますと、オイラ十代の時は綺麗系の受けが好きだったですよ。

なんでかなーなるしまゆり女史の原獣文書で、粗野な受けに萌える看護婦を見開きで拝見してから、一気にそっちに傾いた気がするなー(遠い目)。
妹子が学校からこの日記を見たらしく、「毛について言う(髪です髪をつけなさい!!)とかつってたくせに書いてねーじゃんよ」と突っ込まれました。

どうも筆が乗らないのでうごおおおおとかなるけど書く(うぅ)。

ある時39は「痩せたらイルカ先生のコスしたいな…」と思い立って髪の毛を伸ばすことにしたのです(ええそうです実はそんなアホな理由)。

コスをよく嗜む友人は「今でもやれるよ、やりゃいいじゃん」とか「イルカ先生の服カンタンだからすぐできるよ」とか色々言われたのですが。

いや―――――!!!! 平均体重からピー?もオーバーしたカラダでイルカ先生なんて見苦しい!!!!!

………アカン話題が逸れた。

まあともかくそんなワケで、人の数倍延びにくいオノレの髪を必死で伸ばしたわけです。つか放置に踏み切ったわけです。

でも髪の毛、私猫ッ毛なんですよね。しかも細くて、一本一本がヤバい毛のよーにちょっぴりチリチリしてるねん。
もう雨の日なんか、そこらへんのハサミでぶち切りたくなるほど始末にこまるねん。広がってモワっとなってどーしよーもないねん。

それで私は思ったのです。―――――きっとイルカ先生は剛毛な直毛に違いない、と。

絵描きカカイラーさまの中で、髪下ろしたイルカ先生はいったいどんくらいの長さを持っているのか、けっこう描かれる人によって違いますよね。

肩につくぐらいの長さで描く人もいれば、背の半分ほどの長さを想定する方もいらっしゃいます。

―――実際は、どれくらいなのか。

原作のイルカ先生を見てみますと、かなり頭頂部に近い位置でひとくくり。さらには空中に突き出す髪の長さを考えると――――きっと、下ろせばけっこうな長さになるはず…!!!!(何故か興奮)

私の髪を例に挙げますと、イルカ先生のレベルまで髪をポニーにするためには、肩を遥かに覆い、背に5センチはかからないと不可能でした。そうしないと首筋に近い毛がゴムでまとめられない。
まさかイルカ先生が、コスする人のよーにヘアピンを多用しているとも思えんし。

髪を伸ばした過程で思ったのですけれど、頭頂部でぐいっとくくるのって難しいです(あんま伸ばしたことないから、余計に難しい)。
しかもかなりの長さがないと、ほつれた毛や短い毛がどんどん落ちてくるのです。これはある程度伸ばしたことある人なら誰でもご存知だと思いますが。

そこで天啓。

――――そうか、額宛て…!!!!
イルカ先生は額宛てで、落ちそうな毛を押さえているのだな…!!!(こじつけのよーな閃き)

ううむだが確かに、額宛ては髪の乱れを押さえ込むのに、非常に有効ではないか。頭をぐるりと抑えるあの結び方。かつ幅広な布という形状。

それに言っちゃなんですが、イルカ先生が髪をしばっているゴム、そうとう輪っか大きくなってますよね。つーかちょっとありえんとも思う。

すんげー髪の量がないと、あんなぶっとい縛る根元にはなりません(言い切っていいでしょうアレは)。
絵にもよりますが、シーンによっては「うそおおぉ…」なほど大量に髪が縛られていると感じます。

――――あんな毛量が多いならよけいに、額宛てで押さえなければあの髪形はムリだ…!!!!!
重さで髪型崩れる!!!!

以上の事柄から、私の中では「イルカ先生の髪の長さは、背にかかる程度は確実にあり、かつ量は豊富!!!」という確信が生まれました。

さらに発見はまだまだ続きます(絵に真剣になるなよ)。

くくりあげた髪の毛先の長さがバラバラ。ザンバラのよーに好き勝手はねていますよね。

まとめあげてザンバラならば、下ろしたときは比較的揃っているはずだ…!!!!
そういうもんですよね? 違うかなあ??
下ろした時に、割合まっすぐに切りそろえられているほど、結んだ場合に毛先の長さが変わります。
……ホントかよ。

――――髪を下ろした時にもザンバラ髪のイルカ先生と、意外に長さが揃っているイルカ先生を想像中――――

どっちでもイイね!!!!

どっちのイルカ先生にもオイラの腐女子回路が「ムフー☆」と反応したのでヨシとします!!
好きな方を選べばいいさ!!! うむうむ!!!☆★☆★

さらに、通常ならば下に垂れ下がるはずの尻尾が、針金でも入っているかのよーに空中へ突き出していることを鑑みますと―――イルカ先生はめっちゃ!!剛毛のハズだ!!!!(絵ですよ)

かつ、超★直毛でなければ、あれほど力強くピンとするハズがない!!!!(だからあれは絵ですってば)

馬鹿馬鹿しいことは百も承知の上で、39は固く固く拳を握りました。

イルカ先生は―――――髪が皮膚に刺さるほどの強毛なのよ!!!!!(友人にいるんですそゆ人)

でもですねー、かなりの直毛で剛毛だって考えると、いろいろ説明つくこともあるのですよー。

何故、イルカ先生はあの髪型なのか?って点で。

妹子の話になるんですが、彼女の髪は、コシがありすぎてつるつるしてて、綺麗だけどとてつもなーく癖がつきにくい。
強い直毛なわけですね。

ただストレートに伸ばすのならいい髪でも、結ぼうとかちょっと髪型変えたいときに、なかなか変わらない髪なのです。

おまけに彼女は髪が伸びるのが早いので、特に前髪の始末に非常に苦心します。

あんまり切りすぎても不恰好だから、前髪をそこそこの長さに留めると―――すぐに伸びて目にかかり、邪魔で仕方がない。
横に必死ではらっても、生まれ持ったコシの強さで常に直行落下。

耳にかけられる長さになるまで、常に直行落下。

真下へ真下へと形状記憶している強い毛根に、妹子は苦しめられるのであります。

いったん耳にかけることができるようになると、めんどくさがって今度はなかなか切ろうとはしません。

―――結果、どこの事務員よってな6:4の前髪分けに落ち着くのです。

―――――そう!!!!

コシが強くてすぐ伸びる髪を持つ人は、くくれる長さに落ち着くのです!!!!!(一例を一般例にしてはいけません)

そうかそうか、でもそーかも!!! だってそうだとしたら、イルカ先生が、伸びる髪をいちいち切ったりするのがめんどくさいから、ある程度の長さまで伸ばしてくくってるって説明がつくじゃーん!!!

やっぱ不思議だったんだよ大の大人で、イルカ先生みたいに男らしいというかサバサバしている人が、どーしてちっちゃい頃から髪伸ばしてるのかなーって★

仕方なくあの髪型に落ち着いたんだって方がムリなく頷けるじゃーん!!!
きっと昔からコシが強いさらさらつるつるな髪でさー、伸びやすいからイルカせんせのおかーさんが「目にかかって視力悪くなるのはマズイわね」って(以下略)。

検証して、自分の望みどおりの答えが出るなんて、なかなかありませんから39の頭上にはパパパパパパ〜〜〜〜〜っと花が咲き乱れました。

……そうかあ……★☆★☆
イルカ先生はコシが強〜いまっすぐな、たっぷりとした長髪なんだね…!!!

癖がつきにくいから(もはや決定)、髪下ろすとゴム跡もないストレートだ〜〜〜♪♪

うわーい!!!!

髪フェチのカカシ先生の話とかできそう!!!!

幸せな気分になったところで、では今度はカカシ先生はどーよという話なんですが。

限界の3000字に近くなったのでそれはまた今度です!!(バックレかい)
39

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