……ニュースの特集を見てたら思い出がぶり返したので勢いにのって書いておく。



うちで母上がぶっ倒れたとき、市内に2台ある救急車はどちらも出動中だったんですよね。

ふつうに車で運転すれば10分かからないで病院に行けるのに、救急車が隣町から来るから20分以上かかるって言われたんですよ。
家が奥まったところにあるので、母をかついで表まで出るのは難しく、しかも脳梗塞かもしれない症状で、怖くて動かせない。
そんな状態なのに20分。生死を分ける大事な瞬間にこのロスって、言葉通り「致命的」でした。

怒りで目の前がくらくらすると同時に、涙目でこっちが死にそうになりましたよ。

今でも思うんですが、
あの瞬間、市内に出動してた2台の救急車は、脳梗塞かもしれないうちの母よりも重症患者を運んでいたのでしょうか。たとえば心筋梗塞で倒れた方や、交通事故で意識不明の陥った人。もちろん、そうに違いありません……いや、絶対にそうでなくてはいけません。そうでなくては、許せたものではありません。

身勝手極まりないでしょうが、重症と非重症をどう判断するのだと追及されるかもしれませんが、私は心底そう思って、命に関わりないことで救急車を呼ぶ人を、心の底から恨みました。呪いころしてしまいたいくらいに。

もちろん、その時、2台の救急車がどこで誰を救っていたかなんて今でもわかりません。ただ、安易な「救急車を呼べばいいや」という気持ちが、どれだけ他人の命を危うくしているか、その家族は無念の思いを抱えるかということを強烈に思い知ってしまっただけです。
経験しなきゃわからないなんて私も馬鹿極まりないです。
しかし、ものすごいショックでしたし、おそらく昨今は全国でこんな思いをする人が増えているんだろうと思うと二重の衝撃でもありました。
あんな虚しい、苦しくてやるせようのない思いは二度としたくありません。


一人で動けず、担架がないと動かせない人や、一刻を争う症状だと思われるひとは、ぜったいに救急車を使うべきだと思います。そのための「救急」なのですから。
それと同じく、生理の貧血のためとか、どっか打撲して切れたとか、命に別状がない理由で救急車を呼ぶべきではないのです。ぜったいに。

タクシー代をケチるため(特に都会では多いと思う)とか、誰も白状はしないけども心の奥底では思っていたりする理由で呼ぶのは、とくに、やめてほしい。

他人に迷惑をかけない、という言葉、私はとてもよい、想像力を育てる倫理文句だと思います。
個人の自由や個性を尊重することと、決して相対するものではないはず。

他人に迷惑をかけないということの重要さ、そしてそう自然に考えられることがどれだけ素晴らしいか。もっと、もっと強く教育の場で伝えていってほしいものだと願ってやみません。

自分で歩けるときはタクシー呼んで病院にいってほしいし、
特にパックリ切ったわけでもない傷だったら、夜中の病院を煩わせずに、翌朝病院にいけばいい。

自分の怪我がどれくらいの症状なのか、ある程度判断できるくらいの知識は見につけておくのが常識じゃないかと、強く言いたいです。

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