アクセス解析がパワーアップ&「警視庁草紙」
2009年2月21日 アニメ・マンガいまさらですが解析がパワーアップしたんですよ。めでたい。そして見やすい。
他のブログも使おうとしたことがあるんですが、一度このブログに慣れると、他のがいかにも質面倒くさいカスタムが必要って感じがして、いまいち乗れません。
解析みてると、いろんな検索ワードでいらっしゃる方がいます。
で、その検索ワードでどんな情報を探していたのかはわからないんですが、
「ああっ、その言葉は確かに日記内で出しているけど、アタシ大した内容も情報も書いてないのよォォォオ!」って時はひどく罪悪感が…。
すまん…あと、閉鎖されたカカイルサイトさんを探してらっしゃる方にも、すごく…。かなうものなら、パソコンから手をつきだして慰めてあげたいですよ…。
ところで、山田風太郎の「警視庁草紙」を読み終わりました。けっこう楽しかった。たくさんの「ニヤリ」がありましたー。
時代物書いてる作家さんは、ときどきへたなミステリー作家より構成力あるなあと思うときがあります。伏線すげえ。伏線の回収もすげえ。あと人情話とか、時代物の勢い、話が転、に向かうと一気呵成に片付く感じとかが、すごくいいですね。
決して決められた七言絶句とかの形式があるわけではないんですが、どことなく「お約束」や「様式美」を感じます。
そしてそれらを本能的に歓迎してしまうわたくしは、つくづく時代ものすきだなー!って気がするのです。お約束になったら展開読めるからつまらないはずなのに、逆にわくわくするとかねw どんだけ調教されたファンだよ。
あと、時代物のいいところは、なんか一定の「レベル」が存在するとこです。
ちょいエロ混じり、ミステリ交じり、ちゃんばら交じり、捕り物主体、いろいろあるけど、文章や書き方に「見るに耐えない」というレベルはないです。合う合わないはあっても。
たぶん、ある程度自分で調べないと書けないジャンルだからではないかと…。愚察いたします。つーか書くの大変だよねほんと。調べるのもすっげー大変だし。
杉浦日向子さんの本を読むにつれ、「逝きし世の面影」に涙するにつれ、もし生まれ変わるのなら江戸時代の江戸がいいです。行きたい、江戸に。
思い描く江戸時代は、実際とはかけ離れているんだろうけど、でも、自分の国だからこそある程度、感覚的に想像できる部分があるじゃないですか。「たぶんこんな感じだろう」っていう触りの雰囲気がちょっとだけわかる気がするんです。
その、想像できる「ちょっとだけ」の部分が、なんだかすごく魅力的に見える。
たとえパスタ食えなくても、コレラであっという間に死んでも、吉原に売り飛ばされるかもしれなくても、一回江戸に行ってみてえ…!!!
そんで太く短い人生を送るんだー。
話がだいぶ脱線。
そもそも、なぜこんな近所の本屋では売ってなかったちくま文庫をわざわざ取り寄せたかっつーと、
とある場所で、この山田風太郎の本の中で出てくる「藤田五郎」が、ジャ●プ漫画の斉藤一像のモデルになった、とかいう話を読んだからです。
ええ、る●剣、だいっすきなんです斉藤さんが。
あの「斉藤一像」のモデルー!? どんな苦みばしったいい男やねん!(絵に影響されすぎ)
と、興奮してしまうのは無理からぬことでごぜえましょう(江戸物を読んだあとはべらんめえ口調が使いたい)。
いえ、斉藤一の写真もいくつか知ってるんで、決してる●剣のビジュアルに影響されて好きになっただけじゃありませんよ。人物考とか五冊は読んでます。
でも、新撰組でも三本の指に入るくらい腕の立った隊長が、明治の時代に警察官やってたってのがね……。その設定、じゃなかった背景だけでもね。もうね。すごい妄想の種想像の翼がはばたくんですよ。
明治って、今とは比べものにならないくらい、今風にいうと「カオスな時代」だったんだろうなーと思います。
今の北朝鮮に、いきなり東京の一部が引っ越しちゃうようなはちゃめちゃぐあい?
またまた話が逸れるんですが、
私はいままで、江戸時代から明治に変わる時にあれだけ国内で血みどろの内戦を繰り広げて、どうすんだどうすんだって侃侃諤諤争いまくったのに、どうして明治維新のあとにも西南戦争起こっちゃったのかなあ?ってちょっと疑問だったんですよね。
西郷隆盛のことも読みましたし、ようは士族の反抗だったんだってことはわかってたんですが。最後の意地っつーかすかしっ屁っつーか。
でもそれにしたって、争っても得るものまるっきりないじゃないですか西南戦争って。
死に場所を求めるにしても、なんつーかハタ迷惑な話だなあと思ったし、腑に落ちないものがモヤモヤしてたんですが、
この「警視庁草紙」を読んで、その理由がすこしわかった気がしました。
要は、今と同じだったんだなーと。大量リストラだったんですね武士の。
仕える藩がなくなって、士族っていう階級も消えて、みんな食えなくなっちゃったんですよね。時代劇で見るようにいくら傘貼り浪人できるっつったって、食い詰めるギリギリの生活だってだけで、同じ仕事をしてて今までパワフルに生きてた町人のキャリアに勝てるわけもないし。成功したひとなんてごくごく一部で、明治政府の端っこで仕事もらえてた人は完全勝ち組状態だったことでしょう。
おまけに廃刀令で刀までとりあげられちゃあ…今までの全人格否定されたも同然です。
しかも政府に。個人にやられるならまだしも、政府からそんなこと命令されるなんて、「てめーらが今まで俺らに何してくれたってんだよ、馬鹿にすんじゃねーやボケ」ってなりますわそりゃ。
もともと、初期の明治政府は薩長土肥の人材で占められてて、他の藩出身者からは「負けたからしゃーないけど、ムカつくわ」って思われてた空気がありますし。
本の中で、とある大名が乞食になってたって話を読んで、初めて、じわーっと明治の空気が伝わってきた気がしました。大名がボロボロの乞食になってて、でも仕えてた家老の家柄の人は明治政府に勤めててですね、うらまれて昔の主人たちに殺されちゃうんですけどもね。
そういった、一気に世の中がひっくり返ったって時代だったんだよなあ…。
さて。
「警視庁草紙」は、明治になりたての頃、元同心と警官(ポリス)が同時代に生きていたころの東京を舞台に、仮想の人物と実在の人物が入り混じって捕り物やら対決やらを繰り広げるという……説明すると、なにこのハイクオリティな同人誌、的な本です。いわばルパン対ホームズです(ルパン好きにとっては聖書のような本)。
とにかくレベルが高いので、だんだん読んでて実在の人物と仮想の人物の区別がつかなくなってきます。
というか、ふつうは、いろんな背景を知っている分、実在の人物のほうが奥深く、存在感があるように感じられるものだと思うのです。でもこの本では、仮想の人物も同じくらい存在感を放っていて、すごく生き生きとしている。
実在の人物がおそらく抱いたであろう葛藤と同じく、違う立場ではあるものの葛藤を抱く仮想人物たち。……しまいには、書かれていることが全部ほんとうにあったことだったかのような気がしてくるから困りものでした。
もう、どこからが作り話で、どこからが史実の話を織り交ぜているのか、よくわからなくなりました(苦笑)。もっかい明治あたりの出来事を調べなおしたい気分です。
他のブログも使おうとしたことがあるんですが、一度このブログに慣れると、他のがいかにも質面倒くさいカスタムが必要って感じがして、いまいち乗れません。
解析みてると、いろんな検索ワードでいらっしゃる方がいます。
で、その検索ワードでどんな情報を探していたのかはわからないんですが、
「ああっ、その言葉は確かに日記内で出しているけど、アタシ大した内容も情報も書いてないのよォォォオ!」って時はひどく罪悪感が…。
すまん…あと、閉鎖されたカカイルサイトさんを探してらっしゃる方にも、すごく…。かなうものなら、パソコンから手をつきだして慰めてあげたいですよ…。
ところで、山田風太郎の「警視庁草紙」を読み終わりました。けっこう楽しかった。たくさんの「ニヤリ」がありましたー。
時代物書いてる作家さんは、ときどきへたなミステリー作家より構成力あるなあと思うときがあります。伏線すげえ。伏線の回収もすげえ。あと人情話とか、時代物の勢い、話が転、に向かうと一気呵成に片付く感じとかが、すごくいいですね。
決して決められた七言絶句とかの形式があるわけではないんですが、どことなく「お約束」や「様式美」を感じます。
そしてそれらを本能的に歓迎してしまうわたくしは、つくづく時代ものすきだなー!って気がするのです。お約束になったら展開読めるからつまらないはずなのに、逆にわくわくするとかねw どんだけ調教されたファンだよ。
あと、時代物のいいところは、なんか一定の「レベル」が存在するとこです。
ちょいエロ混じり、ミステリ交じり、ちゃんばら交じり、捕り物主体、いろいろあるけど、文章や書き方に「見るに耐えない」というレベルはないです。合う合わないはあっても。
たぶん、ある程度自分で調べないと書けないジャンルだからではないかと…。愚察いたします。つーか書くの大変だよねほんと。調べるのもすっげー大変だし。
杉浦日向子さんの本を読むにつれ、「逝きし世の面影」に涙するにつれ、もし生まれ変わるのなら江戸時代の江戸がいいです。行きたい、江戸に。
思い描く江戸時代は、実際とはかけ離れているんだろうけど、でも、自分の国だからこそある程度、感覚的に想像できる部分があるじゃないですか。「たぶんこんな感じだろう」っていう触りの雰囲気がちょっとだけわかる気がするんです。
その、想像できる「ちょっとだけ」の部分が、なんだかすごく魅力的に見える。
たとえパスタ食えなくても、コレラであっという間に死んでも、吉原に売り飛ばされるかもしれなくても、一回江戸に行ってみてえ…!!!
そんで太く短い人生を送るんだー。
話がだいぶ脱線。
そもそも、なぜこんな近所の本屋では売ってなかったちくま文庫をわざわざ取り寄せたかっつーと、
とある場所で、この山田風太郎の本の中で出てくる「藤田五郎」が、ジャ●プ漫画の斉藤一像のモデルになった、とかいう話を読んだからです。
ええ、る●剣、だいっすきなんです斉藤さんが。
あの「斉藤一像」のモデルー!? どんな苦みばしったいい男やねん!(絵に影響されすぎ)
と、興奮してしまうのは無理からぬことでごぜえましょう(江戸物を読んだあとはべらんめえ口調が使いたい)。
いえ、斉藤一の写真もいくつか知ってるんで、決してる●剣のビジュアルに影響されて好きになっただけじゃありませんよ。人物考とか五冊は読んでます。
でも、新撰組でも三本の指に入るくらい腕の立った隊長が、明治の時代に警察官やってたってのがね……。その設定、じゃなかった背景だけでもね。もうね。すごい
明治って、今とは比べものにならないくらい、今風にいうと「カオスな時代」だったんだろうなーと思います。
今の北朝鮮に、いきなり東京の一部が引っ越しちゃうようなはちゃめちゃぐあい?
またまた話が逸れるんですが、
私はいままで、江戸時代から明治に変わる時にあれだけ国内で血みどろの内戦を繰り広げて、どうすんだどうすんだって侃侃諤諤争いまくったのに、どうして明治維新のあとにも西南戦争起こっちゃったのかなあ?ってちょっと疑問だったんですよね。
西郷隆盛のことも読みましたし、ようは士族の反抗だったんだってことはわかってたんですが。最後の意地っつーかすかしっ屁っつーか。
でもそれにしたって、争っても得るものまるっきりないじゃないですか西南戦争って。
死に場所を求めるにしても、なんつーかハタ迷惑な話だなあと思ったし、腑に落ちないものがモヤモヤしてたんですが、
この「警視庁草紙」を読んで、その理由がすこしわかった気がしました。
要は、今と同じだったんだなーと。大量リストラだったんですね武士の。
仕える藩がなくなって、士族っていう階級も消えて、みんな食えなくなっちゃったんですよね。時代劇で見るようにいくら傘貼り浪人できるっつったって、食い詰めるギリギリの生活だってだけで、同じ仕事をしてて今までパワフルに生きてた町人のキャリアに勝てるわけもないし。成功したひとなんてごくごく一部で、明治政府の端っこで仕事もらえてた人は完全勝ち組状態だったことでしょう。
おまけに廃刀令で刀までとりあげられちゃあ…今までの全人格否定されたも同然です。
しかも政府に。個人にやられるならまだしも、政府からそんなこと命令されるなんて、「てめーらが今まで俺らに何してくれたってんだよ、馬鹿にすんじゃねーやボケ」ってなりますわそりゃ。
もともと、初期の明治政府は薩長土肥の人材で占められてて、他の藩出身者からは「負けたからしゃーないけど、ムカつくわ」って思われてた空気がありますし。
本の中で、とある大名が乞食になってたって話を読んで、初めて、じわーっと明治の空気が伝わってきた気がしました。大名がボロボロの乞食になってて、でも仕えてた家老の家柄の人は明治政府に勤めててですね、うらまれて昔の主人たちに殺されちゃうんですけどもね。
そういった、一気に世の中がひっくり返ったって時代だったんだよなあ…。
さて。
「警視庁草紙」は、明治になりたての頃、元同心と警官(ポリス)が同時代に生きていたころの東京を舞台に、仮想の人物と実在の人物が入り混じって捕り物やら対決やらを繰り広げるという……説明すると、なにこのハイクオリティな同人誌、的な本です。いわばルパン対ホームズです(ルパン好きにとっては聖書のような本)。
とにかくレベルが高いので、だんだん読んでて実在の人物と仮想の人物の区別がつかなくなってきます。
というか、ふつうは、いろんな背景を知っている分、実在の人物のほうが奥深く、存在感があるように感じられるものだと思うのです。でもこの本では、仮想の人物も同じくらい存在感を放っていて、すごく生き生きとしている。
実在の人物がおそらく抱いたであろう葛藤と同じく、違う立場ではあるものの葛藤を抱く仮想人物たち。……しまいには、書かれていることが全部ほんとうにあったことだったかのような気がしてくるから困りものでした。
もう、どこからが作り話で、どこからが史実の話を織り交ぜているのか、よくわからなくなりました(苦笑)。もっかい明治あたりの出来事を調べなおしたい気分です。
コメント