冬コミの思い出~袋~
2009年1月4日 アニメ・マンガカカイルの大手作家さんのところに並ぶ。
イベントだとよくあるけど、サークルさんが手提げ袋を一緒にくれる場合がある。これは多く部数をすると、けっこう割安に印刷所さんがサービスでやってくれたりもする、というのを後から知ったんだが、それでも気合の入ったふうなデザインの袋だとものごっつ嬉しい。そして好きなサークルさんの袋だと、もんのすげえ欲しくなる。
それだけじゃなく、会場の中によさげなデザインの袋を持って歩いている人をみると、思わず「それどこのサークルさんでもらったんですか?」とか聞いてみたくなる。
以前、服屋でもらったウチワを持って並びながら扇いでいたら、後ろの人から「あの、そのウチワどこで買ったんですか?」と聞かれたことがある。
見返り美人みたいな、浮世絵ふうの絵が白地にさらっと走っている、なかなか粋なデザインだったのだが、残念ながらこれは会場で手に入れたものではないことを伝えると、そのひとはちょっと残念そうにしていた。
――なんてことも実際にあるので、意外にウチワや袋はあなどれない。みんな見ている、チェックしている。
今年もカカイルの大手さんのところでは袋を購入者に渡していた。
とあるサークルさんでは、ラメラメの小さめな袋。この袋に、わたくしはひと目で心を奪われた。
ほしい。なんだか丈夫そうで、使いでがありそうだ。なんとしても手に入れねば。
ところで私は今回、予算が潤沢ではなかったので、思うがままにバカスカと本を買うわけにはいかなかった。
並んでいるうちに、どうやら全員がその袋をもらっているわけではないことにも気づいた。なんだ、なにが違うのだ。本に付属しているのか? だとすれば、どの本を買えばあの袋がもらえるのだ。
そのサークルさんでは、考えた末に、小説本だけを手に取った(小さめの袋だから小説用かな?とか考えた浅知恵)。
果たして、手際のよい売り子さんは、本だけを私に手渡してくだすった。
背後のラメラメ袋には振り向きもせず……。
―――こういった場合、「あの、後ろのきれいな袋は…」とか言い出せるのは勇者だと思う。反面、恥知らずな勇者であるとも思う。
勇者にはなれても、恥は知っていたので、「実は袋が欲しかったんです」と主張するかのごとき愚かな質問は咽喉元でとどまり、かといって全種類の本を買う剛毅はもちあわせず、私は笑顔で挨拶して列を抜けました。
あのラメラメ袋は……なんの本を買えばもらえたのでしょう。今でも欲しくてなりません。
袋の話はもうひとつある。
大体、大手さんだと手提げ袋をくれたりするので、最初に大手に並んで袋をゲッツしてから島周りへ突入し、今日手に入れたばかりの袋に戦利品をがっばがばと押し込んでいく、というのがまあよくあるわたくしのルートだ。
一つ目の惚れた袋に撃沈した私は、用意してきた袋に小説本をおさめ、隣のスペースに向かった。しばらくぶりのイベント参加なので、とりあえず知っているサークルさんは全て周りたい勢いである。勢いだけだと後で気づくことになるが。
隣は、そらもー長いことカカイルをやってらっしゃるサークルさんで、しばらくイベントに行かないうちに、なんと刊行数100冊を超えていらした(むろん再録本も含め)。
もうこれだけでカカイラーであればどのサークルさまかは自明の理と思うが、100冊刊行の際にも、なにか記念本を出されたのであろうか。50冊のときの記念本は持っているのだが、100冊目のときも、もし出されたのならば、逃してしまったなあ…とちょっと悔しさを覚えながら私は机の上を拝見させていただいた。
100冊も出すのだから、当然1イベントに一冊以上のスペースで新刊を出さねば間に合わない。ゆえに机の上も既刊を含めた本で満杯状態である。
三冊買った。
思いがけず、ここで袋がついてきた。
このサークルさんは、大手さんだが、無料本はつけても袋を出すのは珍しい気がした。これも、イベントから遠のいている間に変わったのであろうか。やっぱりちょっとさびしい。
しかしその袋というのが、なかなかにふるっていた。赤地に白で、大きく歌舞伎風な江戸文字で「福袋」。上部は紅白弾幕となっている。
紙袋としては最もやわそうな作りなのだが、いかにも「福袋」という感じでほほえましい。
思いがけず袋をいただき、しかも「福」を分けてもらえた喜びに、わたくしはほくほくとして早速本を移し変えようとした。
ここで悲劇がおこった。
うすい福袋を模した作りが仇となった。というかあれは百貨店の袋と比べても薄かったので仕方がなかったのかもしれない。
おそらく印刷所の箱から出したての、ぱりっとした小説本の角が、儚い福の角とかち合い、あっさりと引き裂いた。自重で滑り落ちながら、引き裂いて、紙袋をたちまち「紙」にしてしまった。
手にした福があっというまにほどけたことに呆然としながら、私の冬コミは始まった。
つづく(かもしれない)。
イベントだとよくあるけど、サークルさんが手提げ袋を一緒にくれる場合がある。これは多く部数をすると、けっこう割安に印刷所さんがサービスでやってくれたりもする、というのを後から知ったんだが、それでも気合の入ったふうなデザインの袋だとものごっつ嬉しい。そして好きなサークルさんの袋だと、もんのすげえ欲しくなる。
それだけじゃなく、会場の中によさげなデザインの袋を持って歩いている人をみると、思わず「それどこのサークルさんでもらったんですか?」とか聞いてみたくなる。
以前、服屋でもらったウチワを持って並びながら扇いでいたら、後ろの人から「あの、そのウチワどこで買ったんですか?」と聞かれたことがある。
見返り美人みたいな、浮世絵ふうの絵が白地にさらっと走っている、なかなか粋なデザインだったのだが、残念ながらこれは会場で手に入れたものではないことを伝えると、そのひとはちょっと残念そうにしていた。
――なんてことも実際にあるので、意外にウチワや袋はあなどれない。みんな見ている、チェックしている。
今年もカカイルの大手さんのところでは袋を購入者に渡していた。
とあるサークルさんでは、ラメラメの小さめな袋。この袋に、わたくしはひと目で心を奪われた。
ほしい。なんだか丈夫そうで、使いでがありそうだ。なんとしても手に入れねば。
ところで私は今回、予算が潤沢ではなかったので、思うがままにバカスカと本を買うわけにはいかなかった。
並んでいるうちに、どうやら全員がその袋をもらっているわけではないことにも気づいた。なんだ、なにが違うのだ。本に付属しているのか? だとすれば、どの本を買えばあの袋がもらえるのだ。
そのサークルさんでは、考えた末に、小説本だけを手に取った(小さめの袋だから小説用かな?とか考えた浅知恵)。
果たして、手際のよい売り子さんは、本だけを私に手渡してくだすった。
背後のラメラメ袋には振り向きもせず……。
―――こういった場合、「あの、後ろのきれいな袋は…」とか言い出せるのは勇者だと思う。反面、恥知らずな勇者であるとも思う。
勇者にはなれても、恥は知っていたので、「実は袋が欲しかったんです」と主張するかのごとき愚かな質問は咽喉元でとどまり、かといって全種類の本を買う剛毅はもちあわせず、私は笑顔で挨拶して列を抜けました。
あのラメラメ袋は……なんの本を買えばもらえたのでしょう。今でも欲しくてなりません。
袋の話はもうひとつある。
大体、大手さんだと手提げ袋をくれたりするので、最初に大手に並んで袋をゲッツしてから島周りへ突入し、今日手に入れたばかりの袋に戦利品をがっばがばと押し込んでいく、というのがまあよくあるわたくしのルートだ。
一つ目の惚れた袋に撃沈した私は、用意してきた袋に小説本をおさめ、隣のスペースに向かった。しばらくぶりのイベント参加なので、とりあえず知っているサークルさんは全て周りたい勢いである。勢いだけだと後で気づくことになるが。
隣は、そらもー長いことカカイルをやってらっしゃるサークルさんで、しばらくイベントに行かないうちに、なんと刊行数100冊を超えていらした(むろん再録本も含め)。
もうこれだけでカカイラーであればどのサークルさまかは自明の理と思うが、100冊刊行の際にも、なにか記念本を出されたのであろうか。50冊のときの記念本は持っているのだが、100冊目のときも、もし出されたのならば、逃してしまったなあ…とちょっと悔しさを覚えながら私は机の上を拝見させていただいた。
100冊も出すのだから、当然1イベントに一冊以上のスペースで新刊を出さねば間に合わない。ゆえに机の上も既刊を含めた本で満杯状態である。
三冊買った。
思いがけず、ここで袋がついてきた。
このサークルさんは、大手さんだが、無料本はつけても袋を出すのは珍しい気がした。これも、イベントから遠のいている間に変わったのであろうか。やっぱりちょっとさびしい。
しかしその袋というのが、なかなかにふるっていた。赤地に白で、大きく歌舞伎風な江戸文字で「福袋」。上部は紅白弾幕となっている。
紙袋としては最もやわそうな作りなのだが、いかにも「福袋」という感じでほほえましい。
思いがけず袋をいただき、しかも「福」を分けてもらえた喜びに、わたくしはほくほくとして早速本を移し変えようとした。
ここで悲劇がおこった。
うすい福袋を模した作りが仇となった。というかあれは百貨店の袋と比べても薄かったので仕方がなかったのかもしれない。
おそらく印刷所の箱から出したての、ぱりっとした小説本の角が、儚い福の角とかち合い、あっさりと引き裂いた。自重で滑り落ちながら、引き裂いて、紙袋をたちまち「紙」にしてしまった。
手にした福があっというまにほどけたことに呆然としながら、私の冬コミは始まった。
つづく(かもしれない)。
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