こういうふうに、もういろ~~~~んな要素をごっちゃまぜた話っていうのは、すっごく分量が大事よね。バランスが大事。

美術やら宗教やら歴史やらのウンチクと、事件の経過状況と、登場人物の背景描写と、会話とか話をさせる主軸のストーリー。

それらの分量がねー、とっても難物。

ウンチク多すぎると飽きて読み飛ばしちゃうし(でもそういうときに限って、後で伏線の元になったりする重要ウンチクだったり)、事件のあらましが長すぎると、ミステリー臭強すぎて、推理ものが苦手な人は「わけわかんねー」ってなる。

ミステリー苦手なひとは、ミステリーを読み解く仮定、たとえば「どのような状態の密室なのか」「密室状態がいつからいつまで続いたのか」「アリバイがある人物は?」といった、推理を進める要素ひとつひとつを提示されること自体が非常にうざったいのである(どっちかっていうと私がそうなので)。

かといって、登場人物の背景――どういった生い立ちで、ゆえにこのような性格に育つに至ったという説明――が長すぎると、その人物に入り込みすぎて、いざ事件が起こっている「いま」に文章が戻った時点で、

あれ、えーと、なんの話だったけ? どこまで進んだっけ??


てなことになりかねない。書き込みがうまけりゃいいってもんじゃないのである。いやうまけりゃステキなんだけど、話の進行状況が大切な、推理要素を含んだ読み物にとっては、「事件そのものを忘れさせる」文章力が、時には、読み手の理解の妨げになることも確かだと思う。



以上のようなことを総合して鑑みるに、『天使と悪魔』はけっこう分量がちょうどいいお話でした。
ウンチクはあるけど、うんざりして読み飛ばすほどではなく、むしろ、それがお話の進行に「なくてはならないのだ」という状況をうまく作りだしていて、あまり気にならなくなってました。これは奇跡的。

さまざまな長編の名作が、長い長いかなしいほどに長いウンチクによって、脱落者の数々を生み出してきました。悲劇的ですが、名作と銘打つ理由のひとつにもなった、作者の深い洞察力と調査学習によるウンチクが、しばしば読了までの高ーい壁になるのであります。あとすげー時間もかかるのであります。

いや、おれ、薀蓄だいすきよ? 漢字で書けるほどにだいすきよ?

でも、純粋にストーリーを簡潔に端的に追いたい人にとっては、すっごく邪魔臭く感じられることも理解できるわけですよ。だって私もミステリーものの密室の説明とかがすげー苦手だから。「あの、これ私読まなきゃいけないの?」ってマジで目に近いですよ。

それを考えれば、このバランス力は卓越したものがあります。ここまで!とばかりに打ち切って、スパっと動きのある場面展開をさせる作者の勢いは、かえって、もっと詳細を知りたいと思わせるほど。

薀蓄が、ストーリーを展開させる上で、絶対に必要な要素になっているので、半ば無理やりに打ち切られても、その唐突さが、登場人物の思考を迫真にせまって追っているようなリアル感にとってかわり、読み手のこちらは緊張感とどきどき感を得ることができるわけです。

説明文がものっそい多いわりにはスピード感があるって、すごいことです。


二作目より一作目のほうが面白いって、ふつうは反対なんですけれどもね。『ダ・ヴィンチ・コード』はこのシリーズの二作目なのです。

『天使と悪魔』のほうが面白いと感じる理由は、まあ細かくいろいろとあると思うんですけど、

ヴィンチと違って、舞台がローマ(ヴァチカン)から動かないってのは大きいと思います。それから、男性が女性を助けにいくっていう要素は、なんつーかお約束で、「おいおい要素つめこみすぎだろw ハーレクインまで入ってきたw」とか思ったんですけど、スリルはやっぱりこっちのほうが強かったかなー。やっぱ美人がピンチになると燃えるっすよ!

オチについては、まあ、疑問をもったら物語なんて読めないし! 面白いなーと思ったらそれでいいんだ!

あと、ヴィンチはほんっっっとーに薀蓄長い。知識のない登場人物に理解させるために、という形でひたすらに薀蓄が。
でも長いわりには進んでないというか。「なぜここに向かうのか、それはこれこれこういった理由で~」→話している間に目的地到着。いろいろあって、また次の目的地へ→「なぜここに向かうのか、それは(以下略」→以下同文、といった感じ。

印象でいうと、『天使と悪魔』は登場人物が事件を追っていく感じ。逆に、『ダ・ヴィンチ・コード』は事件そのものに追われている感じなのです。

話の中の視点、主人公が、主体的に動いているかどうかっていうのは、物語の理解度にも関わってくるし、話の展開を素直に受け入れられるかどうかの―――なんといいますか、本読んでる客観的な自分が置いてけぼりになっちゃう危険性を左右する気がします。
ぶっちゃけていうと「あーなんか読むの疲れてきた」と我に返るかどうか、という。

我に返る回数がないほど、少なければ少ないほど、読み手にとって非常に引力をもった語り手であると言えましょう。

まして長い薀蓄を話の表舞台にもってくるなら、それをどう感じさせるかどうかが、話のストーリー自体にも増して、大事にしなければならないことなのではないでしょうか。


ローマ、ヴァチカンを上下左右(苦笑)、所狭しと駆け巡る、ロマンスグレイな小父様にじゅうぶん楽しませていただきました。『天使と悪魔』、オススメです。



――と、この文章を記していま気づきました。

ステキな小父様が活躍する、ってのが、私にとってなにより、この小説の魅力かもしれません。
……え、なんなの、こんだけ久しぶりにながなが書いて、いちばんのオススメ所はそこなの、ただのオッサン好きだからなの? ちょっと自分でツッコみたい。

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