お金がほしくないひとなんているだろうか。よほど変わり者か、よほどお金を持っている人でない限り、即座に「いらない」と言えるひとは少ないだろう。

お金があれば、大概のことは思い通りになる。――というのは、でも実はちょっと違っていると思う。正しくは、お金があれば、大概のいやなことを経験せずにすむ、ということだ。特に大人になればなるほど。

病気になっても、良い治療を資金不足で受けられない不遇にあわずに済む。
高級店から客扱いされない屈辱を味わわずに済む。
ほしいものを買うのを我慢せずに済む。

極端にいけば働かずに済む。メシを作らずに済む。めんどうなこと一切をせずに済む。

そんなもの、心の満足感とは全然関係ないのだが、そもそも心の満足感自体があやふやなので、物質的なことに満足や幸せを求めても、精神的なものにそれを求めても、それが得られるかどうかは誰にもわからない。どっちを得られるにしても、なにかしらの幸運が手伝ってくれなければならない。

望んでもかなわないことをある程度経験すると、せめて、望まないことは避けたい、という生き方を選ぶようになるのは、動物的にごく自然な流れだと思う。それが姑息で臆病であっても。

とりあえずお金は欲しい。嫌なことをしなくて済むなぁとか、本だけ読んでられるなぁとか、好きなだけ寝られるなぁとか、でもそんなことはお金を持ってから考えたい。とりあえず資金がほしい。

でも、ほしいなぁ、と思って生活してると、なにやら基本的な物事への判断が、ずいぶんそれに影響されてきて、ちょっと困っている。

冷静になるのが遅れる。冷静自体を忘れる。
ずるいなーと思うことが増える。心が狭くなる。短絡的なものの見方がまず先にきて、感情的になって、そこから一歩引くことが難しくなる。

そもそも、ほしいのは¥の先にある本を読む時間や、しあわせな布団空間や、怠け放題の木陰だったりするのに、¥を手に入れればその先がすべて叶うような錯覚を起こしてしまうのである。

そして、しあわせな布団空間を得るための行動と、
¥を得るための行動では、実際動いている間の認識の違いがかなり激しい。行動も違ってくるだろう。それはけっこうな問題じゃないだろうか。

えらい偏見だが具体的に言うと、
本を読む時間を大切にするために働くのは、なんだか有意義に時間を使えそうだが、
¥を得る目的で働いたら、結果的に本を読む時間もないほどぎすぎすした生活になりそうだ。ってことだ。

単純な言葉の作為に、人間はけっこう簡単に左右される。

ゆえに、目標を省略せず、常に具体的に抱くことが大切なのだよなーとか、今日、改めて思ったわけである。

わたしはしばらく、¥がほしい、¥がほしいと思って働いているわけだが、そうではなくて、その先にある、自分が真に獲得したいものを思い描きながらはたらかなければいけないのだと。

なぜなら、給料日になったとしても、本が読めるわけではない。
でも、毎日一時間早く起きたら、その時間は読書でもなんでも好きに使える。

結局はお金なんだ。金があれば大抵のことは思い通りになるんだ。

というのは、目標までの道のりを簡略化したつもりで、その実、自分の夢想すら怠けていることに他ならないのではないか。

…………。



そっかー、だからダメ人間なんだ!



当たり前のことかもしれんけど、あんまり忙しく、疲れてたんで、くそう金がもらえなけりゃなぜ働いているのかわかんねーよウガァァ!ってなってきて、ちょっと待てよ自分、と立ち止まった次第。

上記からすると、具体的に動けば、ダメダメから脱却できるはずだ。

コメント

由貴えり
由貴えり
2008年1月2日19:23

…とっても感動しましたノД`)

…あ!、あけましておめでとうございます*
今年も宜しくお願い致します

39
39
2008年1月6日0:45

あけましておめでとうございます!

かかか感動だなんて。びっくりしました。支離滅裂な文章ですみません。
疲れてくるといろんなものを見失いがちになるなぁと思いまして、そういう戒めのためにも書いとこうとしたものです…。

今年も宜しくお願いいたします。
由貴さんにとっていい一年になりますように。
39

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