妹のやつが。

2007年6月29日
六月の記憶があまりないとゆっていた。

わかる。なんかよくわかるぞ。
というか二十代になってから、いや日ごとにか、一日がすぎるのが早くなっていく気がする。

いままで蓄積された二十数年の記憶が、勝手に「今日という日に似た記憶」で日々の景色を補完しちゃって、目新しく感じなくなっていくからだ、とかいう説をいつだったか、どこかで目にしたように思うのだが、これは確かなんだろうか。納得できる説ではあるけど。

手帳を持ち歩いているけれど、六月の欄はほぼ真っ白だ。たまにあるイベント事や出かける用事を書き込んで、思い出したように日々の出来事を書いたりもするんだけれども、それも忘れて面倒くさくなっているときは、こんなふうに真っ白になる。

なんだか手帳が真っ白になっているだけで、まるで中身のない一ヶ月をすごしたかのような虚しさがふっと漂う。

それはこの、真っ白をつぶすべき文字を、思いつかないからだ。
一ヶ月のことを、あんまり思い出せない。

日記は、この日にこんなことをした、と記録しておくためのものとしてより、アルバムのようにめくっては笑みをこぼす思い出としての役割のほうが、より大きいのかもしれない。

それは毎日をどんどん忘れて生きていく自分たちの、自分たちへの慰めのような、支えのような、証のような、なんか感傷的だけれども、大事な自分ってものが書き込んだ文字に息づいているからじゃないだろうか。

なんてことを、まるっと一ヶ月書かなかった日記を見て思った。
真っ白は虚しいから一言でいいから日記を書こう…。

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