今更ですが、わたしは先日、ようやく、自分は心の底からファンタジー小説が大好きであると認識するに至りました。

これまでも好きだな好きだなーとは思っていたのですが、つくづ〜く、しみじーみと、「精神が幼い、子供っぽいからとかいう理由ではなく、単にこのジャンルが好きなんだわ」ということに気がつきました。

というかそれまで、ファンタジー小説を好んで読むのは、自分の現実逃避したい思いの片鱗か、実際はなりえない都合のよいストーリー展開を求める夢見る幼稚さか、などと正直恥じておりました。そんなの読んでないで学術文庫でも読めよと(学術文庫も大好きなんだが)。

まあともかく、幻想小説を好み、ありもしない架空の宮廷だの歴史だの騎士だの竜だのといった単語に違和感を覚えないのは、大なり小なり、自分が子供っぽいせいだからだと思っていたのです。

でもなんか、ちょっと最近違うような気がしたのですね。


というのも、まずは「漫画は子供っぽいのか?」という疑問からでした。たとえ題材に大人の性問題を扱っていようが、戦争を取り上げていようが、読者層を大人に想定して書かれているものだろうが、

「漫画」という媒体は子供っぽいのであろうか?と。

漫画は絵と文字から成り立っています。絵だけならば絵画として芸術にもなれる。文だけなら古典として100年残ることもある。それぞれ、単体ならば評価の歴史は長いです。

絵と文字を組み合わせている、それをコマ割りという独特の空間内で表現する、というのが漫画の最大の特徴であり魅力であると私は考えました。

漫画が子供っぽいと感じるのは、ではデフォルメのためでしょうか。
大げさに表現することでわかりやすくしたり、または絵では足りないところを文で補い、文章で表現しきれない広さを絵で補うことができるからでしょうか。それがずるい、もしくは安易だと感じられてしまうのでしょうか。

しかし、こうも思いました。

漫画を子供の読むものだと思わせている最大の理由は、それがフィクションだからではないかと。空想で、現実ではないから。

ところがこうなると、絵も文も変わりません。創作物はすべからくフィクションで、イコール子供っぽい、信用性が薄いってことになってしまうからです。
さすがにこれは違うだろと思うので、まあいろいろ考える余地はまだまだありますが。

ただ、絵も文も漫画も、どの表現であらわしたどの題材も、もしそれがまったく個人の想像からなるフィクションならば、絵に感動することも、文章に涙することも、漫画に胸躍らせるのも、けっこう似たようなもんではないかと。

わたしは、絵空事を楽しんでいるのだと。

漫画の子供っぽさがどこから来るかはわかりません。おそらく多面的、複合的な考察が必要だと思います。
でもその一端に「フィクションだから」があることは、確かではないかと思うのです。

そしてその一点においては、映画だろうが小説だろうが漫画だろうが変わらない。

ファンタジー小説も、文芸小説も、古典絵巻物も。

どれを読んで面白がっても、それは絵空事に対して本気になっていることを意味してるのよねーと。

なんとなくそう思ったとき、ファンタジーという舞台が、侮る存在ではなくなっていました。
私にとって、創作小説がすべて一列に並んだといいますか。

では、なんでファンタジーがすきなのかな〜と考えてみると…これがなかなか思いつかない。嫌いな理由は簡単にいくらでも言えますが、好きに理由はあまりない。好きだから、好き。

しかし、その好きな理由のひとつだけはわかっています。

たとえば環境問題とかありますけど、そういった現実の社会での問題を、架空の世界でとりあげて書かれているとすごく面白い。
どっかにありませんかね、リアルな社会問題をテーマにしたファンタジー小説(笑)。

コメント

nophoto
籐七
2007年4月26日20:20

 あるだろう。あるだろうが、それは君が書くといい

39
39
2007年4月28日1:04

書ければいい。書ければいいが、わたしはそれよりも読みたいのだ!
39

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