萌えはビジュアルじゃねえんだよ!!!(怒髪天)
2006年11月23日今日は、クソなアンソロジーを読んでしまいました。
乙女がクソとか言ってはいけませんわね。でももう、これ以上どう言いようもないのですわ。気分を害した御方、どうかお許しくださいませ。
心を閉じて厳重に鍵をかけて言おうが、誰もいない部屋の中で吐き捨てようが、同じく品性下劣であるならばどーだっていいのです。
そこまで開き直っちゃうぐらいの程度の低さだったのですわ。
脳裏で罵倒した時点でわたくしは人間として負け。負け組みでしてよ。こうなっちゃうとむしろ負け組みバッチコイでしてよ。
お嬢口調で気を紛らわせても、煮え滾るようなこの怒りと苛立ちは治まりませんわ。
嗚呼、このアンソロを発行した会社に殴りこみたい。
ほんッッッと―――に、眉をひそめる箇所が多すぎて、どこからどう指摘したらいいのか、わかりませんでした。
全く面白くありませんでした。
私はもう現在のBLにはついていけなくなってしまったのかと悩んでしまったほどです。まあ時代の流れがありますから、ある程度の部分は認めますが。
しかし、こんな中身も内容も萌えもないくだらない落書きじみたシロモノを読んで萌える人間がいるならば、そのひとは逆に、昔書かれた名作のヤオイ小説や漫画などほとんど理解できないのではないでしょうか。
自分の教養を磨くから、漫画はますます面白くなる。私はそう感じています。
そのひとがそれまで、どんな人生を歩んできたか。どんなことに悩んできたか。どう思い、考え、感じて日々を過ごしてきたのか。
担当編集という仲介が入らないぶん、同人誌にはその人生観と言ってもいいほどの、色濃く、くどいことさえある生々しい「人間性」が現れます。
それが面白くてならないのです。
それが読み手の心を揺さぶるのです。
ゆえに、悩み考えはしつつもそこから目を逸らしてきた人間や、元から思索することがあまりない人間からは、受け取るものも少なく、ときにはどこかの漫画やらからの受け売りばかりが書かれていて、うんざりしてしまうのです。
もちろん二次元パロディの基本は「萌え」ですから、シチュエーション萌えの話には深い人間性などは見えません。
それでも、例えばキャラクタをどの角度で描くか。引きか寄りか、顔を描かないか、モノローグだけにするか、背景はどうだ等等、人によって差異のある部分があります。――それこそが、私の求める誰かの嗜好。
わずかに除く「わたしはこう思う」という主張を嗅ぎ取るのが、たまらなく楽しくてなりません。
お約束のパターンというのも、こうして「差異」があるから人それぞれの面白さが出て、けして飽きられることがありません。
映画小説問わず、ヒット作にはいくつか共通したシーンや展開がありますけれど、それでも「これとあれは別の作品だ」と感じるのは、主張や主題が違うからに他ならないのです。
「行間を読む」という言葉があります。受験中に言われたら相手の首を締めたくなりますが、漫画や小説においては当てはまるかもしれません。
綺麗な絵を求めているのではない。淫猥な体位を見たいのでもない。萌えるシチュだけでは物足りない。
コマからコマへと視線を移すとき、頭の中で勝手に補われ繕われて広がる想像力。その想像力をいっそう刺激してくれる作品を読みたいのです。
無理やりに言えば、行間が読みたいのです。
いっぽう、今手元にあるアンソロジーに目を落としてみれば。
割けるページ数が少ないあまり、話を広がることも膨らませることもできず。ましてや同人作家ですから、商業作家のように技術でうまくまとめることもできません(プロじゃないのだから仕方がない)。
中途半端で辻褄の合わない萌えだけが書かれた漫画が無数に収録されています。
編集側は、これで読者が楽しいと思っているのでしょうか。
だとしたら、ずいぶん見くびられたものです。
萌えのみで勢いに走る同人と、それをとりまとめようとする商業。仲立ちをするのが編集の仕事だと思っていたのですが、自らファンに陥って興奮してしまうようでは、まともな思考も働かなくなっているのでしょう。
自分で勝手に妄想していたほうがまだしもです。
今思ったのですが、当然のごとく「行間」には文字がありません。空白です。
行間をひたすら自分で埋めていくのが二次元パロディの作業と考えれば、パロディ妄想はまさしく、「行間を読む」ことなのかもしれませんね。なんだか皮肉な話です。
いささかわたくしも興奮し、荒っぽくなってしまいましたが、上記のアンソロを別としても、昨今の商業BLの荒廃ぶりにはひどいものがあります(いきなり話が変わってすみません)。
それだけ、やおい妄想というものが常人(と書いて編集と読む)には受け入れがたく、勘違いを引き起こしやすいジャンルなのでしょう(エロがありゃいいんだろ、とか)。
だから書き手もわけのわからない方向に走らされている気がします。
いま出てるBLと銘打った本のほとんどは、単なるポルノ小説と化していますね。
ぶっちゃけ、ポルノならば、既に非常におもしろいポルノ小説(もちろん男女の)を書く作家さんがいっぱいいらっしゃるので、出版する意味がないと思います。
確かにやおいは女向けのポルノと言えるけれど、女性はストーリー性や主人公たちの関係性のほうが気になるのです。時には恋愛成就よりも。ましてや体の関係など、二の次です。
一冊に一エロとか考えなくていいから、お願いだから、次の巻も買いたくなるようなやおい小説出してほしい。
男が感じるエロスと、女の感じるそれは、違うのです。明らかに、徹底的に、絶望的なほどに違うのです。
女でも男向けのポルノが好きなひとがいますが(私はけっこう好き)、基本的には、男性は体を求め、女性は気持ちでのエロスを求めるのです。
ここをわかってない編集さんが多すぎて、涙が出そうです。女向けのBLで男向けのポルノをやらないでいただきたい。
エロに必要なのは「エロス」。
エロスがあれば、女は鎖骨一本で充分幸せなのです。裸になって組み合ってるシーンなどなくても、エロスを感じさせればいいのです。滲み出る色気を。
どぎつい描写なんかより、眼差しひとつで赤くなるような雰囲気を醸し出す文章が、どれだけときめくか(そして、どれほど書くのが難しいことか…)。
私がときめきvとか言ってるとお笑いですが、要はそういうことじゃないかと、考えております。
……つくづく、やおいは「BL」と名前がついてから劣化しましたなあ…。もう隔絶の感があります。
乙女がクソとか言ってはいけませんわね。でももう、これ以上どう言いようもないのですわ。気分を害した御方、どうかお許しくださいませ。
心を閉じて厳重に鍵をかけて言おうが、誰もいない部屋の中で吐き捨てようが、同じく品性下劣であるならばどーだっていいのです。
そこまで開き直っちゃうぐらいの程度の低さだったのですわ。
脳裏で罵倒した時点でわたくしは人間として負け。負け組みでしてよ。こうなっちゃうとむしろ負け組みバッチコイでしてよ。
お嬢口調で気を紛らわせても、煮え滾るようなこの怒りと苛立ちは治まりませんわ。
嗚呼、このアンソロを発行した会社に殴りこみたい。
ほんッッッと―――に、眉をひそめる箇所が多すぎて、どこからどう指摘したらいいのか、わかりませんでした。
全く面白くありませんでした。
私はもう現在のBLにはついていけなくなってしまったのかと悩んでしまったほどです。まあ時代の流れがありますから、ある程度の部分は認めますが。
しかし、こんな中身も内容も萌えもないくだらない落書きじみたシロモノを読んで萌える人間がいるならば、そのひとは逆に、昔書かれた名作のヤオイ小説や漫画などほとんど理解できないのではないでしょうか。
自分の教養を磨くから、漫画はますます面白くなる。私はそう感じています。
そのひとがそれまで、どんな人生を歩んできたか。どんなことに悩んできたか。どう思い、考え、感じて日々を過ごしてきたのか。
担当編集という仲介が入らないぶん、同人誌にはその人生観と言ってもいいほどの、色濃く、くどいことさえある生々しい「人間性」が現れます。
それが面白くてならないのです。
それが読み手の心を揺さぶるのです。
ゆえに、悩み考えはしつつもそこから目を逸らしてきた人間や、元から思索することがあまりない人間からは、受け取るものも少なく、ときにはどこかの漫画やらからの受け売りばかりが書かれていて、うんざりしてしまうのです。
もちろん二次元パロディの基本は「萌え」ですから、シチュエーション萌えの話には深い人間性などは見えません。
それでも、例えばキャラクタをどの角度で描くか。引きか寄りか、顔を描かないか、モノローグだけにするか、背景はどうだ等等、人によって差異のある部分があります。――それこそが、私の求める誰かの嗜好。
わずかに除く「わたしはこう思う」という主張を嗅ぎ取るのが、たまらなく楽しくてなりません。
お約束のパターンというのも、こうして「差異」があるから人それぞれの面白さが出て、けして飽きられることがありません。
映画小説問わず、ヒット作にはいくつか共通したシーンや展開がありますけれど、それでも「これとあれは別の作品だ」と感じるのは、主張や主題が違うからに他ならないのです。
「行間を読む」という言葉があります。受験中に言われたら相手の首を締めたくなりますが、漫画や小説においては当てはまるかもしれません。
綺麗な絵を求めているのではない。淫猥な体位を見たいのでもない。萌えるシチュだけでは物足りない。
コマからコマへと視線を移すとき、頭の中で勝手に補われ繕われて広がる想像力。その想像力をいっそう刺激してくれる作品を読みたいのです。
無理やりに言えば、行間が読みたいのです。
いっぽう、今手元にあるアンソロジーに目を落としてみれば。
割けるページ数が少ないあまり、話を広がることも膨らませることもできず。ましてや同人作家ですから、商業作家のように技術でうまくまとめることもできません(プロじゃないのだから仕方がない)。
中途半端で辻褄の合わない萌えだけが書かれた漫画が無数に収録されています。
編集側は、これで読者が楽しいと思っているのでしょうか。
だとしたら、ずいぶん見くびられたものです。
萌えのみで勢いに走る同人と、それをとりまとめようとする商業。仲立ちをするのが編集の仕事だと思っていたのですが、自らファンに陥って興奮してしまうようでは、まともな思考も働かなくなっているのでしょう。
自分で勝手に妄想していたほうがまだしもです。
今思ったのですが、当然のごとく「行間」には文字がありません。空白です。
行間をひたすら自分で埋めていくのが二次元パロディの作業と考えれば、パロディ妄想はまさしく、「行間を読む」ことなのかもしれませんね。なんだか皮肉な話です。
いささかわたくしも興奮し、荒っぽくなってしまいましたが、上記のアンソロを別としても、昨今の商業BLの荒廃ぶりにはひどいものがあります(いきなり話が変わってすみません)。
それだけ、やおい妄想というものが常人(と書いて編集と読む)には受け入れがたく、勘違いを引き起こしやすいジャンルなのでしょう(エロがありゃいいんだろ、とか)。
だから書き手もわけのわからない方向に走らされている気がします。
いま出てるBLと銘打った本のほとんどは、単なるポルノ小説と化していますね。
ぶっちゃけ、ポルノならば、既に非常におもしろいポルノ小説(もちろん男女の)を書く作家さんがいっぱいいらっしゃるので、出版する意味がないと思います。
確かにやおいは女向けのポルノと言えるけれど、女性はストーリー性や主人公たちの関係性のほうが気になるのです。時には恋愛成就よりも。ましてや体の関係など、二の次です。
一冊に一エロとか考えなくていいから、お願いだから、次の巻も買いたくなるようなやおい小説出してほしい。
男が感じるエロスと、女の感じるそれは、違うのです。明らかに、徹底的に、絶望的なほどに違うのです。
女でも男向けのポルノが好きなひとがいますが(私はけっこう好き)、基本的には、男性は体を求め、女性は気持ちでのエロスを求めるのです。
ここをわかってない編集さんが多すぎて、涙が出そうです。女向けのBLで男向けのポルノをやらないでいただきたい。
エロに必要なのは「エロス」。
エロスがあれば、女は鎖骨一本で充分幸せなのです。裸になって組み合ってるシーンなどなくても、エロスを感じさせればいいのです。滲み出る色気を。
どぎつい描写なんかより、眼差しひとつで赤くなるような雰囲気を醸し出す文章が、どれだけときめくか(そして、どれほど書くのが難しいことか…)。
私がときめきvとか言ってるとお笑いですが、要はそういうことじゃないかと、考えております。
……つくづく、やおいは「BL」と名前がついてから劣化しましたなあ…。もう隔絶の感があります。
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