凄まじい。

2006年11月20日
小野不由美の悪霊シリーズが、ヤ○オクですごい値段ついてて唸りました。

これはすごい…。色々他にも本つけて、あとオマケのおいしいペーパーのコピーも付いてですけど、


文庫10数冊で120,000円


さあ、いっしょにゼロを数えましょうv いーち、にー、さんし…………………じゅうにまんえんですよアナタ!!!!

いくらレアもので、絶版で、再販の予定がないものとはいえ、中古の文庫が一冊 壱 万 円。
趣味の世界って…(嘆息)。いや自分もそこに生息しているわけだけど。

好きなことには、人間は金に糸目をつけなくなるんだよな。

この悪霊シリーズ、復刊されないのですよね。どうもいくら出版社にかけあっても無理な理由があるらしくて。

いろんな事情や、作家さんにも譲れない一線、思うところは多々おありになるだろうと思います。

―――しかし、商売人的感覚からすればですよ。

本来であれば出版社や作家のフトコロに入るはずの金が、こうして転売者の元へどぱどぱと流れこむのは、利益を追求する一企業としてどうなの?と問いたくなってしまう。

つか、もったいないと思わないの?

出せば売れるだろう本、おそらくかなりのヒットを飛ばすであろう本が八冊も目の前にあるのに、なにを躊躇しているのかと。なにをぐずぐずしている必要があるのだ、と。
今期のアニメ化の内容も悪くなく、復刊には最高のタイミングだろうに。
商売人として歯がゆいです。

……まあK談社も出したくても出せないんだと歯噛みしてるかもしれないわけですが。

でもなー作者さんの希望で、この膠着状態が何年も続いているのだとすると、尚更、読み手の「読みたい気持ち」を塞いでほしくないと思っちゃうんだよなあ。

ちまちまとでも自分で書いて、読んで、していて思うのは、読み手は、書き手が思う以上に作品への愛が深いんだということです。

書いてる側からすれば、たとえば十年も昔の本なんか見返したくもないし、恥ずかしいし、いっそ焚書してくれと全国に頭を下げてまわりたくもなる。――そういう気持ちを全く感じないひとは、少ないんじゃないだろうか。
よっぽどの自信家か、仕方のないことだと割り切ってしまえればいいのだろうけど。

自分の物だと思うと扱いが軽くなるというのは、まあありがちなことではある。
でも、それが他人にとっては代えがたく惜しい、愛すべき存在だったとき、ここに片思いのような悲劇の図式ができあがってしまう。

オークションで悪霊シリーズを一冊3000円で入札することは、悲劇であり喜劇だと思う。

悲しむべきか喜ぶべきか。手に入れた充実感と一緒に「本来なら正規に入手したかった」と思わずにはいられまい。希少な本を手元に置けたことへの満足感と、自分は一体なにをやっているのかと嘲りたくなるような皮肉な気持ちがきっと、同居する。
まさに「悲喜こもごも」です。

いきなり閉鎖なさる小説サイトさんに面した時も同じようなものです(しつっこくてスミマセン)。
片思いの悲劇と滑稽さしか残らない。

好きなものを我慢しなければならないツラさは、嫌なことを強いられるのと同じように、誰でも共感できることのはずなのに。

欲とか、事情とか、お金とか、どうしてこうも事態は複雑になってしまうんでしょう。

もう、私たちはただ読みたい、それだけなんです。



なんか誰に言うわけでもなくクサくお空へ懇願です。しかも複数形で(苦笑)。アホやー。

でも、溜息を吐きながら私は思うのであります。

欲求とお金を天秤にかけることなく、本を読みたい。お金に対する呵責や気兼ねもいらない。したくない。

私の中で、「読む」という行為は敬虔な態度で臨むべきものなのです。

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