日向景一郎シリーズの三作目を。

この、けっこうなブ厚い文芸書には思い出がある。

大学時代、私は池袋や神田の神保町に月1ぐらいでいそいそと出かけ、一日中立ち読みしまくり本を買い捲るのを至高の喜びとしていた(今でも大差はない)。

その節は長々とお邪魔して、本屋さん申し訳ありませんでした。

とある週末、いつものように神保町の書泉でうろうろしていたが、どうにも読みたい本が見つからず、私は眉根に皺を寄せつつ本棚を眺めまわした。

何故だかこういうのにも「巡り合わせ」があるもので、何冊も買いたい本が見つかって帰りの電車賃以外スッカラカンになるときもあれば、全く見いだせないときもある。

懐には痛いが、もちろん前者のほうが嬉しい。
しかし、このときは見事なほどに収穫ナシだった。

かろうじて見つけたのがこの北方謙三の一冊で、しかも、読みたいが、できれば買いたくなかった。
書泉まで来て買わなければならない本でもない。大学の近所の本屋で簡単に見つかるだろう。

それに、中身の量より、明らかに割り増しされた分厚いハードカバー。
別に内容がないというわけじゃないけれど、例えば本文の書式を2段組にするとか、行間を詰めるとかすれば、いくらでも薄くできるものを、やたらでかくて重たい本に仕上げてあった。

2段組上下刊のハードカバーにハァハァする私にしてみれば、反感を抱くしかない書式。
無駄に値段を上げ、資源を消費しているとしか思えん。

さらには、広いとは決していえぬアパート暮らしです。
読むなら中古、買うなら文庫を信条にしている私はすげー悩みました。

ここで一冊も買わずに帰るか。
それともこの、激しく本棚の幅を消費する、重たい、わりには早く読み終わりそうな本を買うのか?

ここで、どうしても買うべきだ、なんて理由はありません。
一年も待てば文庫本で出る―――でも、でもでも。

神保町までかかった往復の電車賃を思うと、手ぶらでは帰りがたい…(セコさも変わってない)。

くっだらないですが、遊園地に行って乗り物にひとっつも乗らず帰るようなものです。そりゃ抵抗感もあるでしょう。
カレーミュージアムに行ったらカレー食うでしょう。いや食わねばならぬ。でなくば行った意味がわからない。

低次元かつ衝動的な葛藤に立ち尽くしたわたくしは、結局それから一時間あまりも(長ッ!)、他の本を立ち読みしつつ迷ったあげく、しぶしぶ購入したのです。

誰が買ってくれと頼んだわけでもあるまいに渋々と。

さて一方、私はすげえ物持ちがいい人間です。冬のコートなんか平気で五年は保つ。いっそ買い替えたいので早く穴でも空いてくれ、というほど保ちます。
キレーにそのまんま保存する、ということが自然にできるようです。

ゆえに、数奇な巡り合わせと葛藤の末に手に入れた上記の本も、書泉の黒紫のカバーがついたまま、新品同様の姿でいまも本棚の幅を占領しているのです。

――同人誌の重みで、少しずつ床に沈んでいく本棚の上に。

転倒防止のツッパリ棒を伸ばすたびに、なんともいえないわびしさに襲われます。あと申し訳なさに。

ほどなくこのシリーズ三作目は文庫化され、いまでは四作目も文庫になっています。未読なので読みたい。しかしやはり買いたくはない…!

なぜなら、今となっては、文庫すらも置く場所がないから!!

唇を噛んでももう遅いのであります。

たかが一冊で本棚がいっぱいになるわけもないのに、この本を見ると、「ハードカバーはなるたけ買うな」という教訓が頭に浮かぶ。


――――そんな、ビミョウな思い出。

久しぶりに読み返したら楽しかったです。
でもやはり邪魔…(作者すんませんすんませんすんません)。

あと眠いなか書いたので文がめちゃくちゃ。すんませんすんませんすんません(誰にあやまってんだろ)

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