活字の魔物。

2006年7月22日 日常
本屋に寄ると、ときどき、魔がさしたかのように書籍を買いたくなることがあります。

今日はそれが襲ってきました。

自分でも何をしているんだかよくわからないうちに五冊くらい手にとって書店の中をうろちょろしていて、米原万理さんの本を全部買いたいなとコーナーで立ち止まったところで、やっと我に返りました。

ハードカバー一冊1500円として、

1500×5(冊以上)=7500(円〜)

やばかった。
あのままぼんやりしてたら財布の中身がすごい寂しいことになるところだった。

というか「自分でも何をしているかわからない」ってそんな病気でもあるまいし。…とは重々わかっているんですが、何故かこの衝動が襲ってくるとき、いつも私は無心であります。

きっと顔も仏像のようになっていることと思われます。

一種のトランス状態というか、欲しいと思ったものをひたすら手にとっていくといいましょうか、壊れた自動ドアみたいなもんです。開きっぱなし。欲望がとめどなくあふれ出、鍵がかからない。

これが同人誌のイベント会場で起こると、いや、そらもう凄まじい事態になってしまうのですが(懐の中、という局地的な範囲で)、

まだ今日は一般の書店だったので、なんとか踏みとどまることができました。

巨大な店の中を二階へ三階へと上がったり降りたりしていて腕が疲れたのです。そりゃ五冊も抱えてればな。
見下ろした本の重みに青くなり、ようやく自分のおかしさに気づいたわけです。

大概のイベントでは、あれを買うんだこれを絶対手に入れねばと気を張っていなければならないので、あんまりこの衝動に支配されることは少ないのですが。

本を元の場所に返すため、また二階へ三階へうろちょろ歩き回り、当然のようにまた新たな良さげ本に誘惑され、

もういっそ、本屋の中から一歩も出ず、一生本を読んで暮らしたいと心底思いました。
そういうのを、暮らす、とは言わないだろうが、可能ならばそうやって死んでいきたい。

そりゃたまには、ガラスの向こうの外を思いっきり駆け回りたくもなるでしょうが、きっとそんな欲求は寝れば消えてしまうのです。

しかし何百回何千回寝て起きてを繰り返しても、本を読みたいという欲求だけは絶対に抑えられない。
読まずにいても発狂はしないでしょうが、いつまでもいつまでも本を読むことを夢想し続けるでしょう。

恋より厄介で、激烈で、執念深い本能として、「読む」ことが、まるでどこかに植えつけられているみたいです。

本屋から一歩も出るなと、本当に強制されたとしたら――飛び上がって喜んで、次に自分の一生を想像して少し青くなるでしょう。

この建物から一歩も出られず、
食うも寝るも本棚に囲まれ、
地震が起きれば本に潰されるかもしれない。

――しかし恐ろしいのはそれらではなく。

きっと何があっても私は絶対に読み続けるので、逆に使いすぎで眼が見えなくなったら……。

本が読めなくなったら、いったいどうすればいいんだろうと、蒼白になるに違いありません。

この上なく無意味な悩みに頭を抱えるのであります。


本をあらかた、もとの場所に返し終わった後、残った「どうしても欲しい本」三冊のうち、二冊が漫画だったことにちょっと落ち込みました。

安いから買いやすいんだよ…な…。

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