ああ月末が近くなってくる…おそろしいいぃぃぃぃ!!!!

シティに出る予定ですが、
考えてみれば小さめのコミックシティに出るのは久しぶり。なんだか感慨深いです。
というのも、カカイルにハマったばっかりの頃は、毎回欠かさず行ってたので。六月とか八月末とか十月とか一月とか全部。

好きなサークルさんの新刊が一冊でも出るとわかれば、行かずにはいられなかった…そんな麻薬並に厄介な衝動に駆られていましたあの頃は。

今は、夏冬のコミケと春コミと五月のスパコミだけになっています。

小さめのシティは、参加人数の多いイベントよりも特徴があって、
とにかく若い女の子(っつか学生)が多いってこと。
彼女たちのマナーがしばしば良くないということ――個人の経験を一般的見地にまで広げすぎと言われるかもしれませんが、毎回必ず大声がウルサイひとや、列に割り込みするひとを見かけるので、私的に印象よくありません。

つまり毎回なにかしらヤな思いするので行かなくなったわけです。

集団心理ってほんと、皮肉な意味でも面白いと思います。

たとえばひとりの腐女子はとても静かだと思うのですよ。なにかの列に並んでても黙々と文庫本でも開いてるでしょう。

二人組みになればそれなりに朗らかに喋ったりもしますが、まだ周囲に気を配る。

三人になると、これは変則的で、二人・一人の、会話と文庫本に分かれた世界にいくか、そこそこ賑やかに会話するくらい。かえって静かになるグループもある気がします。

四人、五人になると一気に騒音と化します。しかも、周囲の目をあまり気にしない傾向にある(とくに学生)。まさに「騒音」です。

興味のないジャンルのカップリング話をでかい声で延々聞かされていると、なんかこー、しみじみと、嗜好の多様性について思いを巡らせたりしてしまいます。

私はテニプリとガンダムシードではぜんっぜん同人要素を煽られなかったので、列に並んで開場を待つまでの間は、あちこちからの喋り声を聞きつつ、うつらうつらする膨大な思索時間でもありました。

あれが萌えるよね、という会話より、「なんであれが萌えるんだろうね」と探るほうが実は楽しい人間なので、けっこう面白かったです。

そうしてぼんやり他人の話を聞いていて気づいたのは、自分の中の「好き」の優先順位でした。

同人漫画は全てに原作があるわけですが、
そのなかで原作の空気がそのまま残るわけではありません。

下地となるストーリー、設定、キャラクターの性格。

だいたい、原作から抽出されて使われるのはこの三つぐらいだと思います。他の「場所」とかは、いろいろパロっちゃってお江戸カカイルとか学生カカイルなど、原作と異なること甚だしいものもありますから。

私がシードに同人萌えしなかったのは、第一には好きなキャラが見つからなかったからだと思います。設定とストーリーに力が入ってたのはわかるんだけど、キャラクターの性格が皆どことなく似かよってた気がする。
あの絵のせいもあるでしょうが。
なんかみんな暗くて、ふと物思いに沈みそうなんですよ。誰でも似たような台詞を言いそうで(ファンの方すみませんすみません)。
ゆえに私の中では、設定はいいけどキャラがダメ、というオチ。

顧みてテニプリのほうはというと、キャラクターはまあ特徴あって(変とも言うが)、萌えることができないわけではなかったんですが…ぶっちゃけますと、ストーリーがつまんなかった。
学園モノってのが既に食傷気味な設定なのに、展開アタリマエすぎて原作が読めないくらいでした。
ギャグだと思えば少しは楽しめるかもしれませんが…。
こっちは、キャラはいいけどストーリーがダメ。

三つの要素のうち、どれを一番重視するかというより、たぶんバランスの問題だと思います。

で、バランスの好みってのがあると思う。

例えば、ストーリー:設定:キャラ、の順で、最高5点として、
重要度は3:5:4くらい、とか。

ぶっちゃけ私なら3:5:4です。



紆余曲折を得て結ばれる二人…!!なんて内容を感じさせる煽り文句より、
堅物教師に一目ぼれ、なんて、受けの性格を連想させる言葉より、

部下に襲われて。とかって主役二人の立場がくっきり見える文句に思い切り魅かれます。


……くだらないことを長々と書いた。
結局違うジャンルの萌え話なんて聞いてても、対して役立つことなどなかったというよい見本…。

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