フィンランドのヘルシンキで日本食堂を経営しているサチエは、図書館で知り合ったミドリを食堂のスタッフに迎える。
お客は、日本アニメおたくの青年しかいない店にボチボチ人が集まるように。
悩みをかかえたフィンランド人、荷物が出てこなくなって困っている日本人など、個性的なお客さんたちが、かもめ食堂に集まり、サチエたちの温かな心がこもった料理でなごやかな気持ちになっていく。
れっきとした日本映画だが、オールフィンランドロケで、現地スタッフや役者も参加して作り上げた日本とフィンランドのコラボ映画。あせらずマイペースなサチエに小林聡美がピッタリ。
また「かもめ食堂」の北欧風のインテリア、シナモンロールやおにぎりなどのお料理もおいしそうで、ビジュアルも十分に楽しめる。
国境を超えた人間関係をオシャレで心温まるヒューマンドラマに仕上げたのは『恋は五七五』でおなじみの荻上直子監督。(斎藤香)
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というわけで、見て参りました『かもめ食堂』。
北欧って、なんであんなに空が青くて高いんでしょうかね。空気が澄み切っているのがわかる。映像でさえそうなんですから、あの下に立ったときの恍惚感を想像すると、それだけで胸がすくような気がしてきます。
思ったよりも流れがゆっくりで、正直少し飽きたり退屈になったり疲れたりもしてしまったのですが、
そういう「だらだら」感が、少し映画の登場人物たちとリンクしているような、不思議な連帯感がありました。
退屈だなーとは思うけど、画面から目を離したいとは思わない、みたいな。
瞬間瞬間の、三人の「おばさん」(って印象があったんですよ。いい意味で)たちの表情を追うのが楽しくて仕方ありませんでした。
異郷に暮らすって、けっこう勇気のいることです。
ふと思いたって海外に行って見ようとするのって、あんまり考えられないんじゃないかな。
日本は、数字の上で言えば海外旅行に行く人はとても多く見えるけど、実情は「行く人はたびたび行くけど、行かないひとは全く行かない」という二極化だと思います。
国際空港がそうあちこちにあるわけでもないし、田舎のひとは自分の住んでる町を出るだけでも「キレイにしてかなくっちゃ!」とおめかしする。
空港まで二時間以上もかかるような地域に住んでいれば、そうそう海外旅行になど行く気が起きません。行って国内、移動に時間とられるくらいなら、まったり温泉を満喫してるほうがいいわって思うのも無理はありません。
というかそれが普通だと思う。
そんな、誰しもの心の中にある当然の前提をひょいと飛び越えて、フィンランドという異郷に三人の日本人の女性がいるのです。
窓の外は石畳。
抜ける青空、時代を感じる石造りの町並み。
白夜で夜中まで明るく、ひとびとは語らったり、散歩したりしながら、のんびりと暮らしている。
日本とは時間の流れる速さが違うのだろうかと疑うくらい。
はじめは旅行客としてやってきたミドリは、フィンランドと日本との差異を非常に強く感じます。
これも自然なことで、見るもの触るもの全てに新鮮な驚きと、日本と比べての便不便と、物珍しさを感じてしまうのです。
フィンランドでも日本と同じように――といったら違うかもしれませんが、「自分」というスタンス、テンションを崩さない自然体のサチエは、そんなミドリにちょっと退いて、言い諭すのではなく、自分の生活を見せることで伝えていくのです――なにかを。
例えば食べること。
笑うこと。働くこと。
くよくよせず、焦らず、あるがままに、かもめ食堂の時間はゆったり流れる。
異郷の驚きもしだいに慣れに変わり、サチエと同じようにのんびりと、でもしっかりと異郷での生活が根付いてくるミドリを見ていると笑みがこぼれます。女のひとって、逞くてしたたかだなあ!
ひとはいろんな経験をして、それぞれに傷ついた出来事や、恥ずかしくて思い出したくもないことや、苦しかった記憶を持っています。そうでない優しい過去とも一緒に。
悩んでじーっと落ち込み考え込むのもアリだけど、当たり前に暮らしていく日々の中で癒されたり、自分で自分を治していくひとのほうがずっと多い。
特別な場所じゃなく、日常の中にこそ、救いがある。
自分で自分を助ける鍵は、ほんとうはフィンランドなどにはないのです。
でもそれも、なかなか一人では気づけなくて、例えばひょんと遠い異国に落っこちてみてはじめて、振り返れることもある。
人間って因果なものですね。
笑わなくても生きていけるし、悩まなくても生きていける。
でも、人間は、食べないと生きていけないんです!
きっとそれだけ受け取ればいい、そんな映画なんだと笑いながら思いました。
お客は、日本アニメおたくの青年しかいない店にボチボチ人が集まるように。
悩みをかかえたフィンランド人、荷物が出てこなくなって困っている日本人など、個性的なお客さんたちが、かもめ食堂に集まり、サチエたちの温かな心がこもった料理でなごやかな気持ちになっていく。
れっきとした日本映画だが、オールフィンランドロケで、現地スタッフや役者も参加して作り上げた日本とフィンランドのコラボ映画。あせらずマイペースなサチエに小林聡美がピッタリ。
また「かもめ食堂」の北欧風のインテリア、シナモンロールやおにぎりなどのお料理もおいしそうで、ビジュアルも十分に楽しめる。
国境を超えた人間関係をオシャレで心温まるヒューマンドラマに仕上げたのは『恋は五七五』でおなじみの荻上直子監督。(斎藤香)
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というわけで、見て参りました『かもめ食堂』。
北欧って、なんであんなに空が青くて高いんでしょうかね。空気が澄み切っているのがわかる。映像でさえそうなんですから、あの下に立ったときの恍惚感を想像すると、それだけで胸がすくような気がしてきます。
思ったよりも流れがゆっくりで、正直少し飽きたり退屈になったり疲れたりもしてしまったのですが、
そういう「だらだら」感が、少し映画の登場人物たちとリンクしているような、不思議な連帯感がありました。
退屈だなーとは思うけど、画面から目を離したいとは思わない、みたいな。
瞬間瞬間の、三人の「おばさん」(って印象があったんですよ。いい意味で)たちの表情を追うのが楽しくて仕方ありませんでした。
異郷に暮らすって、けっこう勇気のいることです。
ふと思いたって海外に行って見ようとするのって、あんまり考えられないんじゃないかな。
日本は、数字の上で言えば海外旅行に行く人はとても多く見えるけど、実情は「行く人はたびたび行くけど、行かないひとは全く行かない」という二極化だと思います。
国際空港がそうあちこちにあるわけでもないし、田舎のひとは自分の住んでる町を出るだけでも「キレイにしてかなくっちゃ!」とおめかしする。
空港まで二時間以上もかかるような地域に住んでいれば、そうそう海外旅行になど行く気が起きません。行って国内、移動に時間とられるくらいなら、まったり温泉を満喫してるほうがいいわって思うのも無理はありません。
というかそれが普通だと思う。
そんな、誰しもの心の中にある当然の前提をひょいと飛び越えて、フィンランドという異郷に三人の日本人の女性がいるのです。
窓の外は石畳。
抜ける青空、時代を感じる石造りの町並み。
白夜で夜中まで明るく、ひとびとは語らったり、散歩したりしながら、のんびりと暮らしている。
日本とは時間の流れる速さが違うのだろうかと疑うくらい。
はじめは旅行客としてやってきたミドリは、フィンランドと日本との差異を非常に強く感じます。
これも自然なことで、見るもの触るもの全てに新鮮な驚きと、日本と比べての便不便と、物珍しさを感じてしまうのです。
フィンランドでも日本と同じように――といったら違うかもしれませんが、「自分」というスタンス、テンションを崩さない自然体のサチエは、そんなミドリにちょっと退いて、言い諭すのではなく、自分の生活を見せることで伝えていくのです――なにかを。
例えば食べること。
笑うこと。働くこと。
くよくよせず、焦らず、あるがままに、かもめ食堂の時間はゆったり流れる。
異郷の驚きもしだいに慣れに変わり、サチエと同じようにのんびりと、でもしっかりと異郷での生活が根付いてくるミドリを見ていると笑みがこぼれます。女のひとって、逞くてしたたかだなあ!
ひとはいろんな経験をして、それぞれに傷ついた出来事や、恥ずかしくて思い出したくもないことや、苦しかった記憶を持っています。そうでない優しい過去とも一緒に。
悩んでじーっと落ち込み考え込むのもアリだけど、当たり前に暮らしていく日々の中で癒されたり、自分で自分を治していくひとのほうがずっと多い。
特別な場所じゃなく、日常の中にこそ、救いがある。
自分で自分を助ける鍵は、ほんとうはフィンランドなどにはないのです。
でもそれも、なかなか一人では気づけなくて、例えばひょんと遠い異国に落っこちてみてはじめて、振り返れることもある。
人間って因果なものですね。
笑わなくても生きていけるし、悩まなくても生きていける。
でも、人間は、食べないと生きていけないんです!
きっとそれだけ受け取ればいい、そんな映画なんだと笑いながら思いました。
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