があればいいのに…。

毛利元就、時代劇専門チャンネルでやってるので、実家でしか見れません。
私が上京してオンリーに走ってた間、元就の正妻と義理の母が死んでいた…しょーっく。
10年ぐらい流れてしまったわい。

今日、た○しの教育白書?だかなんとかいう番組で、都知事との対談の間、たけ○氏が「男Xがいて、AとBとCを殺すとき、べつに、それぞれ銃で打つシーンを映す必要はない。Xが血のついた包丁を持っている。AとBとCが死んでいる。その2コマがあれば、Xが三人を殺したということを表現できる。客の想像力を使って。」というようなことをチラっと話されました。

―――小説にも同じことが言えるよ…とアタマを抱えました。

私はどーしても書きすぎてしまうので、うまくいかないのです。わかっているんですけれど、なかなか出来ないのです。

書き手の望む光景を100パーセント伝える文ではなく(まあ厳密にいったらそんなことありえないですけど)、読み手に60パーセントないし70パーセントをうまく想像させ、心にガっとこさせるのが、美味しい文だと思うのです。

少なくとも萌え要素を含むライトノベルジャンルにおいては、そういった書き方が重要だと、個人的に感じる部分があります。

同人分野においても右に同じ。自分が萌えるシチュを書きつつ、相手を萌えさせることができなければ、時間をおいて読み返したとき、一読者となったわたし自身が耐えらんねー!!!!と羞恥に死にそうになってしまうのです。

嗚呼かように、文章を書くとは難しきことよ…(溜息)。

おもしろいなって思うときもあるんですけどもね。

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