だからしんどいことがあっても、わたしは一生懸命本を読むのです。

千切れるほどに苦しい思いをしても、それで自分が縮こまってしまったんじゃ、まるっきりその事象に囚われているようじゃありませんか。

それはちょっと悔しかねえかい。

この世には、もっといっぱい、飲み込めないほどの知らない出来事や人々、思い出であふれているというのに。

自分の全てを100として、50も占めるような哀しみがあったとする。このままじゃ辛くってしょうがない。
しんどくってしょうがない。

どうにか「大丈夫だいじょうぶ」って自分に言い聞かせても、しんどくないしんどくないって笑っても、月日が過ごすにまかせても、限界があると思うのです。

だから私はむりやり別のことをする。

自分の全てが100じゃなく、200にも、500にも1000にもなってしまえば、50の哀しみなど薄れていくからです。

哀しい体験をしたら、その倍も十倍も新しい、おもしろい体験をするといい。

わたしはそう思います。
辛いと内に内にこもっていくタチだから、よけいに。

沈むとこまで沈んだら、少しずつ外へ出て、そしていろんなものを拾って、自分を変えていく。

自分を更新して――いつしかヤなことも噛み砕いて投げ捨てられるようになれればいいと思うのです。
完全に消し去ることはムリで、いくら消化したって消化しきれぬものは残って、ときどき鮮やかによみがえってまたわたしを苦しめるのでしょうけど、そうとわかっていながらも、いつか辛さが気にならない薄いシミになるよう願っていたい。

そう希望をもてるように、新しいことにどんどん挑戦していきたい。

『私』だけは、私が支配していたいのです。

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