むかーしむかし。
2005年3月28日宮沢賢治のよだかの星の感想文を書かされたのです。
もちろん、よだかの星を選んだのは私だったのですが、その時読んだ宮沢賢治の短編の中ではいちばん心に残った話だったにも関わらず、ちっとも作文は書けませんでした。振り返るに、一生の中でもっとも無惨な出来だったと思います。
っていうか半分ぐらい先生が手直ししてさらにその半分は先生が書いた文章そのまま使ったし(そしてそれをコンクールに送ったダメダメ)。
悩んでもなやんでも、どれほど唸ってよだかの星を何遍読み返しても、ちっとも自分が感じたことが文字にならなかったのです。
感じたことはただそのままもやもや〜っと固まらないばかりで、系統づけて劇的に盛り上げることも、具体的に読み取ったエキスを書くこともできませんでした。
あれから十数年も経ったのだから、今は少しはマシになっているかなと思ったのですが、いやまったく、ちっともそんなことはありませんでした。
あのときのまま。
「よだかの星」は私にとって、手ごたえのない、だけど印象的な話のまま。
…しかし、以前読んだ時は、言葉にしようとすればするほど「よだかは自殺しました」だの「破滅的」だの「絶望してしまったのです」だの「いじめられていて」だの、感想文としてそれどーなのよ的な、ちっとも健全じゃない内容に傾いてしまっていたんですが―――なので尚更、当時困りはてたのですけど―――今改めて目を通して、やはりこれは発作的にすべてに絶望して死を選んだ話だな、とキッパリ感じました。
きっとそういう後ろ向きな、すべてを投げ出したい衝動が、あの頃の自分の波動とぴったり合っていたんでしょう(暗い時代だ)。
そして、衝動に駆られてとはいえ、自分でうつくしく消えることを選んで、その道をやりぬいたよだかが、実はすっごくすっごく羨ましかったから、あんなに「よだかの星」に拘ったんじゃないかな、と。
実際、あれほど感想文が書きにくい話もなかった。
でもどうしても、あれ以外に題材にしたい話はなかった。
―――青かったな、自分よ。
ところでこの「青空文庫」ってステキですね。数々の文豪の小説がタダでネットで見れる。しばらくここに厄介になりそうです。
もちろん、よだかの星を選んだのは私だったのですが、その時読んだ宮沢賢治の短編の中ではいちばん心に残った話だったにも関わらず、ちっとも作文は書けませんでした。振り返るに、一生の中でもっとも無惨な出来だったと思います。
っていうか半分ぐらい先生が手直ししてさらにその半分は先生が書いた文章そのまま使ったし(そしてそれをコンクールに送ったダメダメ)。
悩んでもなやんでも、どれほど唸ってよだかの星を何遍読み返しても、ちっとも自分が感じたことが文字にならなかったのです。
感じたことはただそのままもやもや〜っと固まらないばかりで、系統づけて劇的に盛り上げることも、具体的に読み取ったエキスを書くこともできませんでした。
あれから十数年も経ったのだから、今は少しはマシになっているかなと思ったのですが、いやまったく、ちっともそんなことはありませんでした。
あのときのまま。
「よだかの星」は私にとって、手ごたえのない、だけど印象的な話のまま。
…しかし、以前読んだ時は、言葉にしようとすればするほど「よだかは自殺しました」だの「破滅的」だの「絶望してしまったのです」だの「いじめられていて」だの、感想文としてそれどーなのよ的な、ちっとも健全じゃない内容に傾いてしまっていたんですが―――なので尚更、当時困りはてたのですけど―――今改めて目を通して、やはりこれは発作的にすべてに絶望して死を選んだ話だな、とキッパリ感じました。
きっとそういう後ろ向きな、すべてを投げ出したい衝動が、あの頃の自分の波動とぴったり合っていたんでしょう(暗い時代だ)。
そして、衝動に駆られてとはいえ、自分でうつくしく消えることを選んで、その道をやりぬいたよだかが、実はすっごくすっごく羨ましかったから、あんなに「よだかの星」に拘ったんじゃないかな、と。
実際、あれほど感想文が書きにくい話もなかった。
でもどうしても、あれ以外に題材にしたい話はなかった。
―――青かったな、自分よ。
ところでこの「青空文庫」ってステキですね。数々の文豪の小説がタダでネットで見れる。しばらくここに厄介になりそうです。
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