とりあえず飛行機遅れました(苦笑)。

成田で30分ほど待たされまして、周りを中国人、中国語に囲まれながら「着く前から中国にいる気分にさせてくれるなんて、さすがだわっ☆」と、ひたすら最後の携帯メールを打ちまくってました。

しかも遅れている理由が「必要な機材がまだ届いていないので…」ってどうなのよそれ!?
今から治すんですかい!!??いやまさかそんなことはナイと思うが、そう聞こえた気がするぞ確かに!!

にわかに冷や汗も覚えましたが、自分が死んだら、数々の見つかったらヤヴァイ本やアイテムを全てお前に託す、と妹子に言い残してきたので、心残りはありませんでした(それぐらいしか心残りない素敵人生)。

まあ遅れることはよくあること、待つことは毎日のこと、ってのが昨今の飛行機事情だとワタクシ、勝手に思っておりましたので、特に問題はありません。

およそ四時間のフライト中、機内食で出てきたブチギレパスタ(激マズだった)と、今は懐かしいスプライトの味を噛み締めた他は、特に何事もなく上海に着くことができました。

しかしここで懐かしくオーダーした「スプライト」と、この先長い付き合いになるとは、誰が予想できたでしょう…。まあこの話もいずれします。


上海ってこんなに近いんだなあ。つくづくそう思いましたですよ。

私、大学のある場所から実家まで、帰省に六時間かかるんですよね。ヘタすると上海行く方が早いってことになります。微妙な心境でした。

さて無事に上海に到着したわけですが、ここで私を、第一の関門
が待っていました。

―――――出迎えの人がいねえ。

そうです私は頼んでいたのですお出迎えの方を。大学から来てくれる人を。慣れない私を(当然だ)大学まで連れてってくれる人を。

なのにいない!!!!それがいない!!!!頼りにできる人がいない!!!


さすが中国だわっ☆


なんて、思いましたが、飛行機の遅れのように笑って流すことはできん。どうしろっちゅうんじゃ。

さすがにちょっと焦りました。
しばらく探しまわり待ち尽くし、およそ30分もうろうろしたでしょうか。

頭の大部分を占めていた「飛行機の到着が40分くらい遅れたから、もしかしてもう帰っちゃったんじゃ…」という予想が、ほぼ確信と諦めに変わり、「こりゃもう自分でタクシー拾って行くしかねえや」と決意。

まさかこんなに早くオノレの中国語力を試されるハメになるとは思いませんでしたが、迎えがいないもんはしょうがない。
自分でやるしかない。行くしかない。

本来一年前、半年前から計画する留学。準備期間一ヶ月以下に不安を感じないはずもありませんでしたが、ネットで色々調べまくっててよかったなあってつくづく思いましたね。

特に、同じ大学に留学していた方の、サイトにはほんと助かりました。

空港の建物を一歩出たとたん、客引きのタクシー運転手がざばあああああっと寄ってきて、乗せよう乗せようとするんです。

この時、ひたすら「いらない、いらない」っつって正規のタクシー乗り場まで行くようにと、上記のサイトで知っていなかったら、もしかしたら変なタクシー乗ってボられたあげく、全然知らないホテルの前で降ろされたかもしれません。

ネットって偉大だ…!!!!!

事前にそのことを知っていたおかげで、たかってくる人々と目も合わせることなくやり過ごすことができました。

しかーぁし。
タクシー乗り場でまた問題発生。

どうやら、客をタクシーに振り分けている仕事の人がいるようなのですが、顔がやたらコワイ。

っつか、やはり外国に来たせいか、昨今の日本での中国人に対するよくないニュースの記憶のせいか、みんな顔が怖く見える…(すんませんほんとすみません)。

いやでもほんと、たかってきたヤバイタクシーの運転手たちの方が明るい感じに見えて、すごい怪しかったんですよ。

なので私。

「どこへ行きたいんだ」

と訊いてくれたその人に向かって、顔をしかめて「いらない、いらない」って言っちゃったんですよ――――!!!!!

ぎゃあああああ!!!!今思い出すと憤死しそうなほど恥ずかしい!!!!!

言われた強面のお兄さんは「ハァ?」って感じの顔をして、私の後ろに居た客に同じようなことを訊いていました。

で、後ろの客がナンタラカンタラ答えて、先にタクシーに乗ったので、そこでようやく、「ああこの人は、そういう仕事のためにいる人なんだ」とわかったわけです。

もう一度改めて、彼が「何処へ〜」みたいな事を訊いてきたときには、素直に大学の住所を書いた紙を差し出しました。

空港の中に居るとき、自分でタクって行こうと決めてすぐ、メモ帳に書いておいたのです。
いや〜書いててよかった!!!!
自分が使う中国語が通じるのかどうか不安でもあったので、特に喋りませんでした。無言で運転手に紙を差し出すだけで、事足りました。

……さて。
ものすごくショックだったのですが。

はっきり言って、着いた当初、私は中国語がまったく聞き取れませんでした。そして自分の喋る中国語も、ほとんど伝わっていませんでした。

大学に着いてからも、それは続きました。

門にいる守衛さんの話す言葉がわからない。言ってる意味もわからない。

ならばこれなら、と紙に書いてもらっても、今度は達筆すぎて読み取れない始末(爆)。

ショックはショックでしたが、それよりも情けなさで、いっそう疲れが増しました…。

―――あたしこれからどうなるんだろ?

寮の部屋になんとかたどり着き、ベッドに座って、しばらく呆然とするしかなかったのであります…。

しかも飛行機が遅れ、そのせいで出迎えがおらず、大学への到着がだいぶ遅れたため、時刻は既に7時になっていました。真っ暗です。
最低限必要なものが、なにも買えないという問題に直面したのでした。

正門の場所も裏門の場所も知らない。行き方もわからない。そもそも食べ物をどこで手に入れればいいのか。
それがなくてもせめて、水は欲しい。

まさに、右も左もわからない(中国語で言ったつもりも通じなかったしな最初は…)状態です。

寮に着けば誰か日本人がいるだろうと思ってきたのですが、時刻が悪かったのか、ほとんど会えませんでした。会っても出かけるところだったり。

しかし、荷物を置いて軽い体になると、空いた腹が鳴きはじめる。
部屋にこもっていても仕方がないと、日本語を求めて外に出てみた私でした。

いやーもうあのときはとにかく、日本人を見つけて、情報をもらうことしか考えてなかったですよ。ほんとに。

ま、結局どうにか同じ階に住む日本人を見つけて、いろいろと教えてもらえたんですから、やはり人間、行動あるのみってことですなー。

でも最初の二日ぐらいはお菓子だけで過ごしてて、はやく美味いメシ屋を見つけなきゃ生死に関わるわい、と怯えました。

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