ぼえー。
2004年4月27日昨日日記書かなかったなあ…寝ちゃいました。
つか昨日はなんとなく炎の蜃気楼についてちょっと語りてえと思って、家に帰ってきながら日記の題名まで決めたのに(「炎のミラージュおもひでポロポロ」っつーの)、どうも気分がのらないうちに電話かかってきちゃったりなんかして結局夢の国だった。
……終わりましたねー。終わっちゃいましたねー。
小説自体知らない方にはなんのことやらな話題でしょうが、読者だった39にとっては感慨深いものがあるのです。なんつーか、これほど濃ゆい小説もなかなかナイと思った。当時。
↓コアなファンの方やネタバレ嫌う方は読まない方がいいかもしれません。別に結末言っちゃったりするわけじゃないですけど、感想は書いてます。
でも今日はコバルト文庫の公式発売日。目を血走らせてあの最終巻を買ったひとも多いに違いない。
ちらっとのぞくと、ミラージュを扱う掲示板は、「私とミラージュとの出会い」回顧録みたいになってたし。
なんというか、とても吸引力のある―――読んだ人がかなりの率で忘れられないモノを得、痛みを感じ、大事に大事に懐に抱いていくお話になる―――そんな力のある小説でした。
ヘンかもしれませんけど、なんか上野であの巻の表紙を見たとき、「せ、青春が終わった…」みたいに思った(爆)。
二十歳超えてて何が青春よとも思うけど、なんつーかこの作品は今思うと、私にとって様々な意味で契機というか、多大な影響をもたらしたものかもしれん。
初めて読んだのは高校生の時だったんですが、その時点で20巻ぐらいまで出てた(うはー年がバレる)。すんごいドキドキしながら続刊を待ったのを覚えている。
それまで、読みはするけどどちらかというと歴史小説とか、やっぱり文学小説が多かったんですけど、これ読んだ辺りから、一気にライトノベルの方に行ってしまった(笑)。
少女少年小説でも、すげー面白いのあるんだなあって思って。
つーかコバルトも冒険したなっつーかよくこのまま出版に踏み切ったなっつーか、作者は初めからこういう方向性で行こうと決めてたのかしらっつーか、もうほんとに「オイオイオイオイ!!」な内容も多かったが。
ヤオイ小説じゃないし当時のコバルト文庫じゃ男同士の恋愛モノ小説なんて一冊もなかったですからね。確か。
ジュネとかピアスとかも、ラブラブよりは耽美小説に雰囲気が近いものがけっこう取りざたされていたし。あたしゃこっちの方が好きなんで、甘いだけの雰囲気とかはだから苦手なんだが。
ともかく、内容を知れば知るほど、大きな顔で買えない小説でした。ミラージュは。
そんな時代に―――濃ゆいまでのあの執着はなによ?
描写量がたった数行なのに、その場面から醸し出される官能というか―――とてっつもなくエロいあの空気!!!!!
エロすぎて思わず本を閉じたぐらいでしたよ!!!
エロいっつのは、ああいうことを言うんだ、と今でも思います。ぐちゃぐちゃの描写とか音が聞こえてくるような露骨な擬音なんか、ほんとは必要ないと言ってしまえるぐらい。
そんなものなくたって、あれほどエロくて官能的な雰囲気を表すことができるんですから。
すげえと思いました。
そういえばこれも主役が関さんだな。アタシの好きなキャラって関さんが声優さんやってるのばっかだ(爆)。
でも、相手役の速水奨さんの直江セリフは、一度は聞いたほうがいいのかもしれません。
これって失礼にあたるのかギリギリの線だと思うんですけど、
この方に変態やらせたら世界一です(拳)。
いやもう速水さんのあの素晴らしいお声で、直江な台詞を聞いた日にゃあ……本気で赤面モノです。
鬱々とぐるぐるとヤケになりながらも出口の見えない悩みのなか考えもがき続けることを、ウチら姉妹の間では「ナオエってる」という造語で表します。
ちょうど読んでたとき、思春期で意味ないこととかによく悩んでたもんで、「うわああああ俺ナオエってるよ!!!!!」とか部屋で叫んだものでした。
直江ってる。もしくはナオエってる。
我ながら秀逸な造語だと感じました…。うああああコアなファンの方に怒られそうだ!!!!!
―――で、最後まで一応斜め読みしたんですが。
きっと、途中でどんだけ救おう救おうと作者が手を差し伸べても彼らはこのままでよくって、あのまま走って、そんでああいう結果になるべくして行き着いたんだなあと思いました。
身もフタもないこと言っちゃいますと、なんだかんだ言って書いてるのは作者だから、変えようと思えば変えられると思うんです、お話って。
もちろん、そうじゃないと主張する作家の方もいらっしゃるでしょうが。
ただ、どうしてもどうしてもキャラクターがそれを受け入れない、よしとしない場合もあるんだろうなあって。
何度も何度も、少女小説なハッピーエンドへ向けて軌道修正しようと―――少なくとも希望を持たせようと試みたことがあると思います、作者は。つか勝手にそれを感じてただけかもしれませんが。
でもあれはあれのままでよかったんだと思う。
少女小説な終わり方じゃなかったと思うけど、彼らが彼らのままでいることが、あのお話の中で最重要になってたし。敵を倒すことよりもなによりも。
だからある意味、名作になったんじゃないかと思います。
あの終わり方で、炎の蜃気楼は名作として確立されたと勝手に感じました。
でも妙に切ないのは、私が、どんな形であれ、あの作品ともっと関わっていきたかったからかもしれません。
終わってしまって、さびしい。
初期の角川ルビー文庫とかちょっぴり思い出すなあ…。
古本屋とかじゃ、名作が一冊50円とかで置かれてて、思わず「カシミヤのダンディ」とか「影の館」とか買っちゃいます。
そんなわけで一抹のさびしさを抱いて、ブルーな39なのです。
つか昨日はなんとなく炎の蜃気楼についてちょっと語りてえと思って、家に帰ってきながら日記の題名まで決めたのに(「炎のミラージュおもひでポロポロ」っつーの)、どうも気分がのらないうちに電話かかってきちゃったりなんかして結局夢の国だった。
……終わりましたねー。終わっちゃいましたねー。
小説自体知らない方にはなんのことやらな話題でしょうが、読者だった39にとっては感慨深いものがあるのです。なんつーか、これほど濃ゆい小説もなかなかナイと思った。当時。
↓コアなファンの方やネタバレ嫌う方は読まない方がいいかもしれません。別に結末言っちゃったりするわけじゃないですけど、感想は書いてます。
でも今日はコバルト文庫の公式発売日。目を血走らせてあの最終巻を買ったひとも多いに違いない。
ちらっとのぞくと、ミラージュを扱う掲示板は、「私とミラージュとの出会い」回顧録みたいになってたし。
なんというか、とても吸引力のある―――読んだ人がかなりの率で忘れられないモノを得、痛みを感じ、大事に大事に懐に抱いていくお話になる―――そんな力のある小説でした。
ヘンかもしれませんけど、なんか上野であの巻の表紙を見たとき、「せ、青春が終わった…」みたいに思った(爆)。
二十歳超えてて何が青春よとも思うけど、なんつーかこの作品は今思うと、私にとって様々な意味で契機というか、多大な影響をもたらしたものかもしれん。
初めて読んだのは高校生の時だったんですが、その時点で20巻ぐらいまで出てた(うはー年がバレる)。すんごいドキドキしながら続刊を待ったのを覚えている。
それまで、読みはするけどどちらかというと歴史小説とか、やっぱり文学小説が多かったんですけど、これ読んだ辺りから、一気にライトノベルの方に行ってしまった(笑)。
少女少年小説でも、すげー面白いのあるんだなあって思って。
つーかコバルトも冒険したなっつーかよくこのまま出版に踏み切ったなっつーか、作者は初めからこういう方向性で行こうと決めてたのかしらっつーか、もうほんとに「オイオイオイオイ!!」な内容も多かったが。
ヤオイ小説じゃないし当時のコバルト文庫じゃ男同士の恋愛モノ小説なんて一冊もなかったですからね。確か。
ジュネとかピアスとかも、ラブラブよりは耽美小説に雰囲気が近いものがけっこう取りざたされていたし。あたしゃこっちの方が好きなんで、甘いだけの雰囲気とかはだから苦手なんだが。
ともかく、内容を知れば知るほど、大きな顔で買えない小説でした。ミラージュは。
そんな時代に―――濃ゆいまでのあの執着はなによ?
描写量がたった数行なのに、その場面から醸し出される官能というか―――とてっつもなくエロいあの空気!!!!!
エロすぎて思わず本を閉じたぐらいでしたよ!!!
エロいっつのは、ああいうことを言うんだ、と今でも思います。ぐちゃぐちゃの描写とか音が聞こえてくるような露骨な擬音なんか、ほんとは必要ないと言ってしまえるぐらい。
そんなものなくたって、あれほどエロくて官能的な雰囲気を表すことができるんですから。
すげえと思いました。
そういえばこれも主役が関さんだな。アタシの好きなキャラって関さんが声優さんやってるのばっかだ(爆)。
でも、相手役の速水奨さんの直江セリフは、一度は聞いたほうがいいのかもしれません。
これって失礼にあたるのかギリギリの線だと思うんですけど、
この方に変態やらせたら世界一です(拳)。
いやもう速水さんのあの素晴らしいお声で、直江な台詞を聞いた日にゃあ……本気で赤面モノです。
鬱々とぐるぐるとヤケになりながらも出口の見えない悩みのなか考えもがき続けることを、ウチら姉妹の間では「ナオエってる」という造語で表します。
ちょうど読んでたとき、思春期で意味ないこととかによく悩んでたもんで、「うわああああ俺ナオエってるよ!!!!!」とか部屋で叫んだものでした。
直江ってる。もしくはナオエってる。
我ながら秀逸な造語だと感じました…。うああああコアなファンの方に怒られそうだ!!!!!
―――で、最後まで一応斜め読みしたんですが。
きっと、途中でどんだけ救おう救おうと作者が手を差し伸べても彼らはこのままでよくって、あのまま走って、そんでああいう結果になるべくして行き着いたんだなあと思いました。
身もフタもないこと言っちゃいますと、なんだかんだ言って書いてるのは作者だから、変えようと思えば変えられると思うんです、お話って。
もちろん、そうじゃないと主張する作家の方もいらっしゃるでしょうが。
ただ、どうしてもどうしてもキャラクターがそれを受け入れない、よしとしない場合もあるんだろうなあって。
何度も何度も、少女小説なハッピーエンドへ向けて軌道修正しようと―――少なくとも希望を持たせようと試みたことがあると思います、作者は。つか勝手にそれを感じてただけかもしれませんが。
でもあれはあれのままでよかったんだと思う。
少女小説な終わり方じゃなかったと思うけど、彼らが彼らのままでいることが、あのお話の中で最重要になってたし。敵を倒すことよりもなによりも。
だからある意味、名作になったんじゃないかと思います。
あの終わり方で、炎の蜃気楼は名作として確立されたと勝手に感じました。
でも妙に切ないのは、私が、どんな形であれ、あの作品ともっと関わっていきたかったからかもしれません。
終わってしまって、さびしい。
初期の角川ルビー文庫とかちょっぴり思い出すなあ…。
古本屋とかじゃ、名作が一冊50円とかで置かれてて、思わず「カシミヤのダンディ」とか「影の館」とか買っちゃいます。
そんなわけで一抹のさびしさを抱いて、ブルーな39なのです。
コメント